5年以上も中断したままになっておりました本ブログですが、引っ越しリニューアルする(と仮面を外す)ことにいたしました。
新しいブログですが、「がんコーディネートくりにっく院長Blog」で仮面を外した院長が以下のURLでよそおいも新たにスタートしております。
https://www.ccc8jin.life/blog
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
PS:この仮面放射線腫瘍医の思いつき日記ブログも、FC2ブログさんが消滅させない限り残すことにいたしました。
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今日、お知り合いの先生と30年くらい前の大学時代の話でちょっと盛り上がったので、備忘録としてこのブログにもあえて残すことにしました。およそ3年前に母校の大学医学部サッカー部50年記念誌へ寄稿したもの(一部改変)です。
完全に自己満足の世界ですが、ご容赦ください。
**************************
『夕方まで爆睡、のちサッカー練習、のち飲み、たま~に講義、の毎日』
〇大学サッカー部50周年記念誌への寄稿案内があってから、何を書こうかずっと悩んでいました。在籍6年、テーマは山のようにあるはずなのですが、9月の締め切りが来ても筆が止まったまま、問題先送り状態で時だけ過ぎました。10月に入り、「まだ間に合うから」とのご連絡をいただき、久しぶりに学生時代のアルバムを眺めてみました。楽しかったこと、つらかったこと、懐かしかったこと、思い出したくないこと、やっぱりいろいろありました。ということで、今回は自分の思いつくままに書くことにしました。
私は医学部に入ったらサッカー部に入ろうと決めていましたし、入学直後の新入生ミルクコンパ(建前上はお酒が飲めないので、このようなネーミングになっていたはず)終了後に即、部室に案内していただきました。先輩に導かれ妙に薄暗い廊下を通り部室のドアが開くと、パッと目の前が明るくなり後光が差すかのように正面にどっしりと着席されているお2人が目に入りました。「さすが〇大学医学部の先輩は威厳がある!」という第1印象でした。医者になったばかりのK藤先生と5年生のM人さんでした。人を見る目がまだ幼かった私でした。
私の背丈は169.5cmしかないのですが、入部後ほどなくゴールキーパーをしてみないかと勧められました。私が入学したのは3連覇がかかった東日本医科学生総合体育大会:以下、東医体(Wikipedia:日本国内で行われる体育大会としては、国民体育大会(国体)と西医体に次ぐ第3位の規模!)の年。当時最上級生で高校時代には県代表ゴールキーパーでもあった板橋さんにいろいろご指導いただき、本当に下手糞でしたがチーム事情で選手として出してもらえそうな中で練習しました。しかし、大会直前1週間くらい前の練習で強いシュートを弾くと、手に今まで感じたことのない鋭い痛みが… 手根骨の剥離骨折でした。ボイコットのつもりはなかったのですが東医体1回戦当日の直前練習で再度悪化、見事な3連覇の瞬間はスタンドで指をくわえて観戦していました。
現役時代は6年間ゴールキーパーを続けさせていただき(現在は全くやっておりませんが)、板橋さんのご指導はずっと私の心の中に強いインパクトを残しています。自他ともに厳しい方で、40台と若くして病に倒れてしまったのですが、闘病でも敬意を表するお姿でした。感謝と共に改めてご冥福をお祈りいたします。
その後の私たちの東医体は歯がゆい結果ばかりでした。大会で唯一2敗を喫するチーム(4位)に2度もなり、準決勝の相手はいずれも優勝(3年時の弘前大、首脳部時の北大)。また4年時に1回戦PK負けした山形大は準優勝だったと思います。首脳部時代の準決勝北大戦は特に辛い思い出で、私はいまだにビデオを見ることができません。後半2-0でリードしながら1点返され残り5分、たしかカウンター気味に攻め込まれ、中途半端に前に出てしまった私の左脇をコロコロとボールがすり抜け、無人のゴールへ。試合中「気持ちを切り替えよう」と自分に言い聞かせながら、でも同点の尾を引いたままPK戦に突入。そして北大2人目だったか、また似たようなコロコロシュートが私の左脇をすり抜け、結局一人も止めることができずにPK負けでした。あの2つのコロコロはいまだに私の脳裏に焼きつき、一度もビデオを見ていないのに夜中に何度も夢で出てくるくらい残像が記憶されています。負けは負けですし、言い訳がましいですが…。なので、添付写真くらい勝って喜んだ時のものを掲載します(写真)。準決勝で弘前大に負けた時の東医体 3回戦、大雨直後で一部が池のようなピッチかつ凄い強風の中、大逆転で勝利した新潟戦終了直後です。

大学時代、サッカー以外はよく飲みよく寝ました。最初のお花見では当然初めてつぶれ、記憶なくJさんのアパートに連れられゲロまみれで目覚めました。4 年の時は逆に我が家に今は亡き小玉を運び、台所に巻き散らかれたゲロを処理したこともありました。シャイないいやつでした。
2年の時の四大戦では、前橋の居酒屋で総勢30人くらいだったか酔っ払い集団が自分の靴下一足を真ん中の足にかぶせただけの姿で群馬大伝統の(?)「異邦人」を合唱させられました。もちろん他のお客さんもいましたけれどお構いなしに、今なら間違いなく(いや当時でも本当なら)警察沙汰です。
北海道のサッポロビール園にいくたび、ゲロ吐きながら意地になって大ジョッキ10杯の「迷ビール会」入りを競ったこともありました。噛みつく人を押さえたり、殴りあう人を止めたり、飲み会はいろんなことがありました。私の二日酔いは年中で、日中はいつもアパートで休息し夕方の練習に備え体力回復を試みていました。そのためか本業であるべき講義の記憶があまりありません。授業料を支払ってくれた親にはいまだ申し訳なく思っていますし、社会人なりたての時は医学の勉強不足がボディーブローのように効きました(いまだに…?)。
試合で全国各地に遠征後は、多くの有志部員でレンタカーを借りて地域名産を飲み食いしながら帰ってきたりもしました。自分が出た東医体で優勝できなかったことは本当に悔しかったですが、やっぱり何もかもが思い出です。
自分の備忘録で人様には面白くなさそうな内容、おわび申し上げるとともに最後まで目を通していただき深く御礼申し上げます。大学時代にサッカー部の一員として過ごせたことを今でも本当に感謝しています。
完全に自己満足の世界ですが、ご容赦ください。
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『夕方まで爆睡、のちサッカー練習、のち飲み、たま~に講義、の毎日』
〇大学サッカー部50周年記念誌への寄稿案内があってから、何を書こうかずっと悩んでいました。在籍6年、テーマは山のようにあるはずなのですが、9月の締め切りが来ても筆が止まったまま、問題先送り状態で時だけ過ぎました。10月に入り、「まだ間に合うから」とのご連絡をいただき、久しぶりに学生時代のアルバムを眺めてみました。楽しかったこと、つらかったこと、懐かしかったこと、思い出したくないこと、やっぱりいろいろありました。ということで、今回は自分の思いつくままに書くことにしました。
私は医学部に入ったらサッカー部に入ろうと決めていましたし、入学直後の新入生ミルクコンパ(建前上はお酒が飲めないので、このようなネーミングになっていたはず)終了後に即、部室に案内していただきました。先輩に導かれ妙に薄暗い廊下を通り部室のドアが開くと、パッと目の前が明るくなり後光が差すかのように正面にどっしりと着席されているお2人が目に入りました。「さすが〇大学医学部の先輩は威厳がある!」という第1印象でした。医者になったばかりのK藤先生と5年生のM人さんでした。人を見る目がまだ幼かった私でした。
私の背丈は169.5cmしかないのですが、入部後ほどなくゴールキーパーをしてみないかと勧められました。私が入学したのは3連覇がかかった東日本医科学生総合体育大会:以下、東医体(Wikipedia:日本国内で行われる体育大会としては、国民体育大会(国体)と西医体に次ぐ第3位の規模!)の年。当時最上級生で高校時代には県代表ゴールキーパーでもあった板橋さんにいろいろご指導いただき、本当に下手糞でしたがチーム事情で選手として出してもらえそうな中で練習しました。しかし、大会直前1週間くらい前の練習で強いシュートを弾くと、手に今まで感じたことのない鋭い痛みが… 手根骨の剥離骨折でした。ボイコットのつもりはなかったのですが東医体1回戦当日の直前練習で再度悪化、見事な3連覇の瞬間はスタンドで指をくわえて観戦していました。
現役時代は6年間ゴールキーパーを続けさせていただき(現在は全くやっておりませんが)、板橋さんのご指導はずっと私の心の中に強いインパクトを残しています。自他ともに厳しい方で、40台と若くして病に倒れてしまったのですが、闘病でも敬意を表するお姿でした。感謝と共に改めてご冥福をお祈りいたします。
その後の私たちの東医体は歯がゆい結果ばかりでした。大会で唯一2敗を喫するチーム(4位)に2度もなり、準決勝の相手はいずれも優勝(3年時の弘前大、首脳部時の北大)。また4年時に1回戦PK負けした山形大は準優勝だったと思います。首脳部時代の準決勝北大戦は特に辛い思い出で、私はいまだにビデオを見ることができません。後半2-0でリードしながら1点返され残り5分、たしかカウンター気味に攻め込まれ、中途半端に前に出てしまった私の左脇をコロコロとボールがすり抜け、無人のゴールへ。試合中「気持ちを切り替えよう」と自分に言い聞かせながら、でも同点の尾を引いたままPK戦に突入。そして北大2人目だったか、また似たようなコロコロシュートが私の左脇をすり抜け、結局一人も止めることができずにPK負けでした。あの2つのコロコロはいまだに私の脳裏に焼きつき、一度もビデオを見ていないのに夜中に何度も夢で出てくるくらい残像が記憶されています。負けは負けですし、言い訳がましいですが…。なので、添付写真くらい勝って喜んだ時のものを掲載します(写真)。準決勝で弘前大に負けた時の東医体 3回戦、大雨直後で一部が池のようなピッチかつ凄い強風の中、大逆転で勝利した新潟戦終了直後です。

大学時代、サッカー以外はよく飲みよく寝ました。最初のお花見では当然初めてつぶれ、記憶なくJさんのアパートに連れられゲロまみれで目覚めました。4 年の時は逆に我が家に今は亡き小玉を運び、台所に巻き散らかれたゲロを処理したこともありました。シャイないいやつでした。
2年の時の四大戦では、前橋の居酒屋で総勢30人くらいだったか酔っ払い集団が自分の靴下一足を真ん中の足にかぶせただけの姿で群馬大伝統の(?)「異邦人」を合唱させられました。もちろん他のお客さんもいましたけれどお構いなしに、今なら間違いなく(いや当時でも本当なら)警察沙汰です。
北海道のサッポロビール園にいくたび、ゲロ吐きながら意地になって大ジョッキ10杯の「迷ビール会」入りを競ったこともありました。噛みつく人を押さえたり、殴りあう人を止めたり、飲み会はいろんなことがありました。私の二日酔いは年中で、日中はいつもアパートで休息し夕方の練習に備え体力回復を試みていました。そのためか本業であるべき講義の記憶があまりありません。授業料を支払ってくれた親にはいまだ申し訳なく思っていますし、社会人なりたての時は医学の勉強不足がボディーブローのように効きました(いまだに…?)。
試合で全国各地に遠征後は、多くの有志部員でレンタカーを借りて地域名産を飲み食いしながら帰ってきたりもしました。自分が出た東医体で優勝できなかったことは本当に悔しかったですが、やっぱり何もかもが思い出です。
自分の備忘録で人様には面白くなさそうな内容、おわび申し上げるとともに最後まで目を通していただき深く御礼申し上げます。大学時代にサッカー部の一員として過ごせたことを今でも本当に感謝しています。
先日、私が20年近く前に当時上司とともに入院診療を担当させていただいた方の娘さんが、超久しぶりにわざわざ私の所へご挨拶に来てくださりました。
最初、私に面会希望の患者さんのご家族がいるというお話で、(たしか自分の担当ではなかったはずだけれど)何かしちゃったかなあ?と一瞬変な不安がよぎってしまいましたが、娘さんを診察室にご案内すると「その節はありがとうございました」とニコニコしながら第一声。
ちょっとホッとしました。
当時その方はある進行がんだったのですが、今後の治療方針について当時の上司と若輩な私の意見が割れていました(実はその方以外でもしばしば意見が割れていたのですが…)。で、娘さんを含めたご家族も交えていろいろ相談した結果、最終的にご本人が私の治療方針を選択なさりました。
その後ほどなくして私は医局人事で当時所属していた大学病院に戻ることになってしまったのですが、その方は在宅でしばらく苦痛もなく過ごされ、上司の予測より半年ほど長く在宅で元気に過ごされたとのことでした。娘さんは「(若輩の)私の助言があったから元気に延命できました」とおっしゃってくださりました。
今回、たまたまその方のご家族の方が入院治療されていて、病院のホームページを見ていたら私が当時所属施設と同じ県である今の病院に勤務していることを知ったとのこと。「亡き父が引き合わせてくれた」と当時の御礼にとプレゼントまでいただきました。それってどうなの?という反対意見の方もおられましょうが、(後で開けてみたら私にとって貴重な日用品でしたし)お気持ちがとても嬉しく遠慮なく頂戴いたしました。
いろいろな意味でありがとうございました。
今でこそ在宅がん診療は全国各地に普及するようになってきましたが、私が関わった20年も前は在宅医療そのものが先駆的な地域でした。まず、がんの告知が一般的ではなかったし、介護備品も整備されていなかったし、在宅医療医や訪問看護や地域医療連携室などもまともに機能(≒存在すら)していませんでした。
ということで主治医の上司か私が病院看護師さんたちと直接往診に伺い、点滴・処置やお看取りまでも私たちがご自宅で担当させていただきました。一部の診療所の先生と多少連携をとれることもあったような気もしますが、私たちがほとんど請け負って在宅診療をしていました。
当時から「在宅だと元気になられるな~」といろいろな方の往診に伺いながらよく思ったものでした。
化学放射線治療の甲斐なく終末期となってしまった若い子宮癌の方がいました。狭くて暗いバラックのような古い長屋に何人もの家族がひしめき合うお宅でしたが、入院中には見たこともないような笑顔でみんなに囲まれて過ごされていたのが印象的でした。がん性腹膜炎で食事は全く食べられなかったのですが、好きなコーラを頑張ってちびちび飲むだけで1か月余り過ごされました。
入院中にあった足の浮腫みも徐々に改善し、最期はほとんど苦痛なく過ごされました。なんでもかんでも高カロリーな点滴や栄養をすれば良いというものではないと改めて教えていただいた方でした。
「今、私は放射線治療の後遺症で大変ですが、そのおかげでがんが治って自宅で妻とともに生きていられるわけですから、治療してくれた(上司の)先生にはとても感謝しています」とおっしゃられた方もいました。
(単に私の知識不足だったのかもしれませんが)エビデンスという言葉を聞いたことすらない時代で、当時の上司は自分なりにいろいろな論文を調べて放射線治療や抗がん剤や温熱療法や免疫療法などを組み合わせたオリジナル治療をしていました。論文などよく勉強されていた先生で単なる経験だけの何となく思いつき診療ではなかったのですが、当時標準的とされる治療とは異なる斬新な治療方針をとられていた先生でもありました。(私からすると)その方は過剰治療例でしたが致命的な状態までには至らずがんは完治といえる状態になった方でした。
もちろん治療の後遺症により裁判沙汰になることは時に報道されたりもしますし、過剰診療は慎むべきというのが常識的ですが、人によってはいろいろな見解があるものだと改めて教えていただいた方でした。
冒頭にご紹介した方は私が直接在宅で診療したわけではなかったのですが、娘さんとの話を通じていろいろなことを思い出させていただきました。
20年越しのプレゼント、医者冥利に尽きます。
ありがとうございました。

最初、私に面会希望の患者さんのご家族がいるというお話で、(たしか自分の担当ではなかったはずだけれど)何かしちゃったかなあ?と一瞬変な不安がよぎってしまいましたが、娘さんを診察室にご案内すると「その節はありがとうございました」とニコニコしながら第一声。
ちょっとホッとしました。
当時その方はある進行がんだったのですが、今後の治療方針について当時の上司と若輩な私の意見が割れていました(実はその方以外でもしばしば意見が割れていたのですが…)。で、娘さんを含めたご家族も交えていろいろ相談した結果、最終的にご本人が私の治療方針を選択なさりました。
その後ほどなくして私は医局人事で当時所属していた大学病院に戻ることになってしまったのですが、その方は在宅でしばらく苦痛もなく過ごされ、上司の予測より半年ほど長く在宅で元気に過ごされたとのことでした。娘さんは「(若輩の)私の助言があったから元気に延命できました」とおっしゃってくださりました。
今回、たまたまその方のご家族の方が入院治療されていて、病院のホームページを見ていたら私が当時所属施設と同じ県である今の病院に勤務していることを知ったとのこと。「亡き父が引き合わせてくれた」と当時の御礼にとプレゼントまでいただきました。それってどうなの?という反対意見の方もおられましょうが、(後で開けてみたら私にとって貴重な日用品でしたし)お気持ちがとても嬉しく遠慮なく頂戴いたしました。
いろいろな意味でありがとうございました。
今でこそ在宅がん診療は全国各地に普及するようになってきましたが、私が関わった20年も前は在宅医療そのものが先駆的な地域でした。まず、がんの告知が一般的ではなかったし、介護備品も整備されていなかったし、在宅医療医や訪問看護や地域医療連携室などもまともに機能(≒存在すら)していませんでした。
ということで主治医の上司か私が病院看護師さんたちと直接往診に伺い、点滴・処置やお看取りまでも私たちがご自宅で担当させていただきました。一部の診療所の先生と多少連携をとれることもあったような気もしますが、私たちがほとんど請け負って在宅診療をしていました。
当時から「在宅だと元気になられるな~」といろいろな方の往診に伺いながらよく思ったものでした。
化学放射線治療の甲斐なく終末期となってしまった若い子宮癌の方がいました。狭くて暗いバラックのような古い長屋に何人もの家族がひしめき合うお宅でしたが、入院中には見たこともないような笑顔でみんなに囲まれて過ごされていたのが印象的でした。がん性腹膜炎で食事は全く食べられなかったのですが、好きなコーラを頑張ってちびちび飲むだけで1か月余り過ごされました。
入院中にあった足の浮腫みも徐々に改善し、最期はほとんど苦痛なく過ごされました。なんでもかんでも高カロリーな点滴や栄養をすれば良いというものではないと改めて教えていただいた方でした。
「今、私は放射線治療の後遺症で大変ですが、そのおかげでがんが治って自宅で妻とともに生きていられるわけですから、治療してくれた(上司の)先生にはとても感謝しています」とおっしゃられた方もいました。
(単に私の知識不足だったのかもしれませんが)エビデンスという言葉を聞いたことすらない時代で、当時の上司は自分なりにいろいろな論文を調べて放射線治療や抗がん剤や温熱療法や免疫療法などを組み合わせたオリジナル治療をしていました。論文などよく勉強されていた先生で単なる経験だけの何となく思いつき診療ではなかったのですが、当時標準的とされる治療とは異なる斬新な治療方針をとられていた先生でもありました。(私からすると)その方は過剰治療例でしたが致命的な状態までには至らずがんは完治といえる状態になった方でした。
もちろん治療の後遺症により裁判沙汰になることは時に報道されたりもしますし、過剰診療は慎むべきというのが常識的ですが、人によってはいろいろな見解があるものだと改めて教えていただいた方でした。
冒頭にご紹介した方は私が直接在宅で診療したわけではなかったのですが、娘さんとの話を通じていろいろなことを思い出させていただきました。
20年越しのプレゼント、医者冥利に尽きます。
ありがとうございました。

今日は北海道から研修医の先生がうちの施設見学にいらっしゃいました。来年からは放射線科を志望とのことで、うちの施設も選択肢らしいです。参考までに若いお医者さんに対する給料をはじめとした福利厚生、うちは結構良いらしいですよ!
うちの施設見学を希望された理由は(以前見学にいらっしゃった方にお薦めいただいたこともあるそうですが)そうそうたる最先端放射線治療装置が揃っているという点。陽子線、サイバーナイフ、ガンマナイフ、(まもなくTrue beam)、そしてBNCT…(手前味噌ですが)世界最高峰と自画自賛できるスペックです。私が学生・研修医で放射線治療科を検討していたらやっぱり一度は見学に来ると思います。
日中は副センター長らの案内で施設見学をしていただき(私は外来診療…ごめんなさい)、夜は施設内のフレンチレストランで懇親会が催されました。もちろんゴチです!実は病院持ち…(笑)
ぶっちゃけ書けば、放射線治療を希望されるのならうちの科に就職していただき、いろいろな経験を是非していただきたい所ではあります。が、やっぱり最終的にはご自身が何をしてみたいかでしょう。
指導者の責務というのも初期の医師にはある程度重要な要素だろうとは思いますが、最も大事なのは本人が仕事を楽しめるかどうかでしょう。これはどんな職種にも相通じることですよね?「楽しむ」という表現は語弊があるかもしれませんが、今の仕事を楽しむ(=言い換えればやる気や前向きな)意識が乏しい先生が担当になってしまった患者さんは傍から見ていても可哀想です。医者の「やる気」というオーラ、がんという死を意識せざるを得ない方々はおそらく敏感に察知するだろうと思います。
甘いと言われるかもしれませんが、治療成績などのエビデンスなんかより医者が発する「気」というものが患者さんの信頼感や安心感に最も寄与するのだろうと私は思っています。カリスマ医師(と評判の方々)は直接お会いするとそういったオーラが満ち満ちているように思います。往々にして押しつけ医療になりがちではありますけど、患者さんとウマが合えばそれで良し。
もちろん何となく診療ではないエビデンスも大事です。
見学に来られた先生、月並みですが、ご自身で良かれと思う選択をなさってください。そして楽しく悩みながら善きお医者さんになってください。もしうちを選択されたら、来年よろしくね。
まだまだ私も頑張ります!

うちの施設見学を希望された理由は(以前見学にいらっしゃった方にお薦めいただいたこともあるそうですが)そうそうたる最先端放射線治療装置が揃っているという点。陽子線、サイバーナイフ、ガンマナイフ、(まもなくTrue beam)、そしてBNCT…(手前味噌ですが)世界最高峰と自画自賛できるスペックです。私が学生・研修医で放射線治療科を検討していたらやっぱり一度は見学に来ると思います。
日中は副センター長らの案内で施設見学をしていただき(私は外来診療…ごめんなさい)、夜は施設内のフレンチレストランで懇親会が催されました。もちろんゴチです!実は病院持ち…(笑)
ぶっちゃけ書けば、放射線治療を希望されるのならうちの科に就職していただき、いろいろな経験を是非していただきたい所ではあります。が、やっぱり最終的にはご自身が何をしてみたいかでしょう。
指導者の責務というのも初期の医師にはある程度重要な要素だろうとは思いますが、最も大事なのは本人が仕事を楽しめるかどうかでしょう。これはどんな職種にも相通じることですよね?「楽しむ」という表現は語弊があるかもしれませんが、今の仕事を楽しむ(=言い換えればやる気や前向きな)意識が乏しい先生が担当になってしまった患者さんは傍から見ていても可哀想です。医者の「やる気」というオーラ、がんという死を意識せざるを得ない方々はおそらく敏感に察知するだろうと思います。
甘いと言われるかもしれませんが、治療成績などのエビデンスなんかより医者が発する「気」というものが患者さんの信頼感や安心感に最も寄与するのだろうと私は思っています。カリスマ医師(と評判の方々)は直接お会いするとそういったオーラが満ち満ちているように思います。往々にして押しつけ医療になりがちではありますけど、患者さんとウマが合えばそれで良し。
もちろん何となく診療ではないエビデンスも大事です。
見学に来られた先生、月並みですが、ご自身で良かれと思う選択をなさってください。そして楽しく悩みながら善きお医者さんになってください。もしうちを選択されたら、来年よろしくね。
まだまだ私も頑張ります!

今の陽子線治療施設に移籍して、本日で一年が経過しました。時の経つのは早いものです。
陽子線の特徴、なんとなくわかってきました。X線より正常部分の被ばくを抑え身体に優しい放射線治療とか、がん病巣の照射量が上乗せでき治療効果も高まる(可能性)とか、以前から文言としてはいろいろ伺っておりましたが、やはり現場で実際の患者さんを直接診療させていただくと違いますね。百聞は一見に如かずです。
陽子線治療はおそらくX線治療の「次世代の」放射線治療ですし、JASTROの皆さんもぜひ一度は早めに経験なさってみてはいかがでしょう? ちなみに今回のJASTRO Newsletter裏表紙にはうちの放射線腫瘍医募集広告も掲載されています(笑)
ということで、今回のブログでは陽子線治療に関する私なりの印象を思いつくままに以下箇条書きしてみることにしました。
1.陽子線治療の線量分布はやっぱりX線治療より総じて良いです。特に局所進行肺癌や肝胆腫瘍は予想以上に使える印象です。III期肺癌(や進行食道癌)で縦隔リンパ節がごろごろしていたり(右)肺下葉病変で照射野変更時に脊髄を外すと肺V20が35%を軽く超えてしまったり、正常の心臓や肝臓線量ががっちり入ってしまったりするケース、放射線腫瘍医なら誰しも治療計画の難しさを経験されているのではないでしょうか?やむを得ず総線量を減らさざるをえなかったりGTVすら照射野を削らなければならない照射設定、まれならずありますよね。陽子線治療だとそのストレスがほぼなくなり、ばっちり照射できます!
I期肺癌でも間質性肺炎例はX線の定位放射線治療よりずっと安全にご提供できそうです。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27090216
もっとも、RTOG0617や今年のASCO報告のようにIII期非小細胞肺癌ではいくら局所照射を頑張っても生命予後には寄与しないかもしれない可能性はあるのですが…。
また、全頸部照射のような広い照射野など実はIMRTの方が適している場合もあったりします。施設、装置によって微妙に対応が変わるようです。これはX線治療でも同じですね。
2.陽子線治療を受けられる方々は地元の症例が多いです。これはどの粒子線治療施設でもそのようなのですが、現場の医者から治療方針として粒子線が選択提示されるかどうかが大きな要素のようです。入院や外来通院するにも自宅からの距離というのはもちろん大きな因子となりますが、やはり医者の説明の仕方で全然違うようです。
粒子線治療はまだまだエビデンスが十分でなく、診療ガイドライン至上主義の先生方からは「選択肢に挙げられない」とのご意見を少なからず伺います。現在、先進医療として(うちの施設を含めた)粒子線治療グループがいろいろな多施設共同臨床試験などを計画している最中ではありますが、それらの結果(や海外の報告)が出るまで診療ガイドラインには反映されにくいのも確かではあります。
でも、目の前の患者さんはそれまで待てません。そして、自分の担当患者さんにはEBMを優先される医者もいざ自分が患者になったら陽子線を選択肢としてお考えになるだろうとも思います、きっと。あまり余計なことを書くと、JASTROの一部先生方に叱られそうですが…
3.先進医療保険特約加入者や実費お支払い可能者は思いのほかいらっしゃるようです。社長とか先生とか、やっぱりある程度の資産をお持ちの方は多いようですが。ちなみに銀行ローンなどでの分割支払いも条件によっては可能です。
300万円、決して安くはありませんが、自動車1台分の値段と同じと考えれば、命や後遺症の値段として高いかどうか、人それぞれで見解が異なります。担当医が勝手に「お高い治療」と決めつけるのはおかしいことです。
昨今の分子標的治療は月に300万円もします。それをずっと投与し続けたら…。もちろん保険収載されているので、1人の患者さんご自身の自腹金額としてはずっと安価ですが、それを日本国民全員で負担しているわけでして。
4.自分(か家族)の意思で受診される方が多いです。裏を返せばなかなか個性的な方も多いのですが、総じて医者お任せ的でない方が多い気がします。お金のことは触れましたが、高額ということを除けば陽子線治療がX線治療に劣ることはほぼありません。
陽子線治療の最大の利点は、従来のX線治療より後遺症を含めた副作用のリスク面で明らかに優れていることが多い点だと私は思っています(全部変わらないなら300万円も出す価値はありませんよね)。また、そこを最優先に期待され受診される方も少なくありません。患者さんたちは生存率といった医学者目線のエビデンスだけで治療選択をなさっていません。
自分の身体は自分で守る、自分で決める。これはがん治療においても、とても大事な要素の一つだと思います。
5.そして最後に。うちの施設の売りの一つは、放射線治療科として自ら病棟管理をし、場合によっては化学療法や緩和ケアも含めた主治医になれることでしょう。他の診療科の請負(≒あてや)だと、チーム医療とはいえどうしても最終方針は主治医のご意向を優先せざるを得ない部分が少なくありません。
http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-107.html
自らが主治医になるとその点の対応はしやすいですし、また治療以外の深いったいろいろなお話も多々しやすくなります。個人的には、自然治癒力のお話とか補完代替療法の相談もベッドサイドで積極的にできるようになりました。もちろんご本人のご意向を優先し下手な誘導はしておりませんし、具体的なお薦め(≒商売)もしていません。
でも、がん患者さんの大半が関心を持つこれら領域を話題にさせていただくと、より親身ながん診療がしやすくなる印象です。
陽子線治療、なかなか面白いです。

陽子線の特徴、なんとなくわかってきました。X線より正常部分の被ばくを抑え身体に優しい放射線治療とか、がん病巣の照射量が上乗せでき治療効果も高まる(可能性)とか、以前から文言としてはいろいろ伺っておりましたが、やはり現場で実際の患者さんを直接診療させていただくと違いますね。百聞は一見に如かずです。
陽子線治療はおそらくX線治療の「次世代の」放射線治療ですし、JASTROの皆さんもぜひ一度は早めに経験なさってみてはいかがでしょう? ちなみに今回のJASTRO Newsletter裏表紙にはうちの放射線腫瘍医募集広告も掲載されています(笑)
ということで、今回のブログでは陽子線治療に関する私なりの印象を思いつくままに以下箇条書きしてみることにしました。
1.陽子線治療の線量分布はやっぱりX線治療より総じて良いです。特に局所進行肺癌や肝胆腫瘍は予想以上に使える印象です。III期肺癌(や進行食道癌)で縦隔リンパ節がごろごろしていたり(右)肺下葉病変で照射野変更時に脊髄を外すと肺V20が35%を軽く超えてしまったり、正常の心臓や肝臓線量ががっちり入ってしまったりするケース、放射線腫瘍医なら誰しも治療計画の難しさを経験されているのではないでしょうか?やむを得ず総線量を減らさざるをえなかったりGTVすら照射野を削らなければならない照射設定、まれならずありますよね。陽子線治療だとそのストレスがほぼなくなり、ばっちり照射できます!
I期肺癌でも間質性肺炎例はX線の定位放射線治療よりずっと安全にご提供できそうです。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27090216
もっとも、RTOG0617や今年のASCO報告のようにIII期非小細胞肺癌ではいくら局所照射を頑張っても生命予後には寄与しないかもしれない可能性はあるのですが…。
また、全頸部照射のような広い照射野など実はIMRTの方が適している場合もあったりします。施設、装置によって微妙に対応が変わるようです。これはX線治療でも同じですね。
2.陽子線治療を受けられる方々は地元の症例が多いです。これはどの粒子線治療施設でもそのようなのですが、現場の医者から治療方針として粒子線が選択提示されるかどうかが大きな要素のようです。入院や外来通院するにも自宅からの距離というのはもちろん大きな因子となりますが、やはり医者の説明の仕方で全然違うようです。
粒子線治療はまだまだエビデンスが十分でなく、診療ガイドライン至上主義の先生方からは「選択肢に挙げられない」とのご意見を少なからず伺います。現在、先進医療として(うちの施設を含めた)粒子線治療グループがいろいろな多施設共同臨床試験などを計画している最中ではありますが、それらの結果(や海外の報告)が出るまで診療ガイドラインには反映されにくいのも確かではあります。
でも、目の前の患者さんはそれまで待てません。そして、自分の担当患者さんにはEBMを優先される医者もいざ自分が患者になったら陽子線を選択肢としてお考えになるだろうとも思います、きっと。あまり余計なことを書くと、JASTROの一部先生方に叱られそうですが…
3.先進医療保険特約加入者や実費お支払い可能者は思いのほかいらっしゃるようです。社長とか先生とか、やっぱりある程度の資産をお持ちの方は多いようですが。ちなみに銀行ローンなどでの分割支払いも条件によっては可能です。
300万円、決して安くはありませんが、自動車1台分の値段と同じと考えれば、命や後遺症の値段として高いかどうか、人それぞれで見解が異なります。担当医が勝手に「お高い治療」と決めつけるのはおかしいことです。
昨今の分子標的治療は月に300万円もします。それをずっと投与し続けたら…。もちろん保険収載されているので、1人の患者さんご自身の自腹金額としてはずっと安価ですが、それを日本国民全員で負担しているわけでして。
4.自分(か家族)の意思で受診される方が多いです。裏を返せばなかなか個性的な方も多いのですが、総じて医者お任せ的でない方が多い気がします。お金のことは触れましたが、高額ということを除けば陽子線治療がX線治療に劣ることはほぼありません。
陽子線治療の最大の利点は、従来のX線治療より後遺症を含めた副作用のリスク面で明らかに優れていることが多い点だと私は思っています(全部変わらないなら300万円も出す価値はありませんよね)。また、そこを最優先に期待され受診される方も少なくありません。患者さんたちは生存率といった医学者目線のエビデンスだけで治療選択をなさっていません。
自分の身体は自分で守る、自分で決める。これはがん治療においても、とても大事な要素の一つだと思います。
5.そして最後に。うちの施設の売りの一つは、放射線治療科として自ら病棟管理をし、場合によっては化学療法や緩和ケアも含めた主治医になれることでしょう。他の診療科の請負(≒あてや)だと、チーム医療とはいえどうしても最終方針は主治医のご意向を優先せざるを得ない部分が少なくありません。
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自らが主治医になるとその点の対応はしやすいですし、また治療以外の深いったいろいろなお話も多々しやすくなります。個人的には、自然治癒力のお話とか補完代替療法の相談もベッドサイドで積極的にできるようになりました。もちろんご本人のご意向を優先し下手な誘導はしておりませんし、具体的なお薦め(≒商売)もしていません。
でも、がん患者さんの大半が関心を持つこれら領域を話題にさせていただくと、より親身ながん診療がしやすくなる印象です。
陽子線治療、なかなか面白いです。
