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放射線治療にたずさわっている赤ワインが好きな町医者です。緩和医療や在宅医療、統合医療にも関心があります。仕事上の、医療関係の、趣味や運動の、その他もろもろの随想を不定期に更新する予定です。
 先日、私が20年近く前に当時上司とともに入院診療を担当させていただいた方の娘さんが、超久しぶりにわざわざ私の所へご挨拶に来てくださりました。
 
 最初、私に面会希望の患者さんのご家族がいるというお話で、(たしか自分の担当ではなかったはずだけれど)何かしちゃったかなあ?と一瞬変な不安がよぎってしまいましたが、娘さんを診察室にご案内すると「その節はありがとうございました」とニコニコしながら第一声。
 ちょっとホッとしました。

 当時その方はある進行がんだったのですが、今後の治療方針について当時の上司と若輩な私の意見が割れていました(実はその方以外でもしばしば意見が割れていたのですが…)。で、娘さんを含めたご家族も交えていろいろ相談した結果、最終的にご本人が私の治療方針を選択なさりました。

 その後ほどなくして私は医局人事で当時所属していた大学病院に戻ることになってしまったのですが、その方は在宅でしばらく苦痛もなく過ごされ、上司の予測より半年ほど長く在宅で元気に過ごされたとのことでした。娘さんは「(若輩の)私の助言があったから元気に延命できました」とおっしゃってくださりました。

 今回、たまたまその方のご家族の方が入院治療されていて、病院のホームページを見ていたら私が当時所属施設と同じ県である今の病院に勤務していることを知ったとのこと。「亡き父が引き合わせてくれた」と当時の御礼にとプレゼントまでいただきました。それってどうなの?という反対意見の方もおられましょうが、(後で開けてみたら私にとって貴重な日用品でしたし)お気持ちがとても嬉しく遠慮なく頂戴いたしました。
 いろいろな意味でありがとうございました。


 今でこそ在宅がん診療は全国各地に普及するようになってきましたが、私が関わった20年も前は在宅医療そのものが先駆的な地域でした。まず、がんの告知が一般的ではなかったし、介護備品も整備されていなかったし、在宅医療医や訪問看護や地域医療連携室などもまともに機能(≒存在すら)していませんでした。

 ということで主治医の上司か私が病院看護師さんたちと直接往診に伺い、点滴・処置やお看取りまでも私たちがご自宅で担当させていただきました。一部の診療所の先生と多少連携をとれることもあったような気もしますが、私たちがほとんど請け負って在宅診療をしていました。


 当時から「在宅だと元気になられるな~」といろいろな方の往診に伺いながらよく思ったものでした。

 化学放射線治療の甲斐なく終末期となってしまった若い子宮癌の方がいました。狭くて暗いバラックのような古い長屋に何人もの家族がひしめき合うお宅でしたが、入院中には見たこともないような笑顔でみんなに囲まれて過ごされていたのが印象的でした。がん性腹膜炎で食事は全く食べられなかったのですが、好きなコーラを頑張ってちびちび飲むだけで1か月余り過ごされました。
 入院中にあった足の浮腫みも徐々に改善し、最期はほとんど苦痛なく過ごされました。なんでもかんでも高カロリーな点滴や栄養をすれば良いというものではないと改めて教えていただいた方でした。

 「今、私は放射線治療の後遺症で大変ですが、そのおかげでがんが治って自宅で妻とともに生きていられるわけですから、治療してくれた(上司の)先生にはとても感謝しています」とおっしゃられた方もいました。
 (単に私の知識不足だったのかもしれませんが)エビデンスという言葉を聞いたことすらない時代で、当時の上司は自分なりにいろいろな論文を調べて放射線治療や抗がん剤や温熱療法や免疫療法などを組み合わせたオリジナル治療をしていました。論文などよく勉強されていた先生で単なる経験だけの何となく思いつき診療ではなかったのですが、当時標準的とされる治療とは異なる斬新な治療方針をとられていた先生でもありました。(私からすると)その方は過剰治療例でしたが致命的な状態までには至らずがんは完治といえる状態になった方でした。
 もちろん治療の後遺症により裁判沙汰になることは時に報道されたりもしますし、過剰診療は慎むべきというのが常識的ですが、人によってはいろいろな見解があるものだと改めて教えていただいた方でした。


 冒頭にご紹介した方は私が直接在宅で診療したわけではなかったのですが、娘さんとの話を通じていろいろなことを思い出させていただきました。

 20年越しのプレゼント、医者冥利に尽きます。
ありがとうございました。

20160829
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【2016/08/29 23:47】 | 緩和医療
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 今年の日本緩和医療学会は久しぶりに(といっても私は初の)京都開催でした。ここ数年の本学会は採択される一般演題が毎年1000を超え、参加者も看護師さんなど女性がとても多く、京都国際会議場で大丈夫かな?と思っていましたが、私が聞きに行ったセッションは結構席に余裕がありました。
 もちろん聴きたかったランチョンセミナーには入れませんでした。

 今回の私個人の学術大会テーマは「エビデンス」。最近は多くの学会でいろいろな診療ガイドラインが次々と刊行されていますが、今年は日本緩和医療学会でも3つのガイドラインが改定されました。「がん患者の呼吸器症状の緩和に関するガイドライン」、「がん患者の泌尿器症状の緩和に関するガイドライン」、そして「がんの補完代替療法クリニカル・エビデンス」の3つ。
 いずれも学術大会の中でそれぞれのセッションがあり、各ガイドライン作成ワーキンググループのメンバーが改定の経緯やポイントなどを解説してくださりました。全部聴きに行きました。書籍販売でもこれらガイドラインは結構目立っていましたし、私もちゃんと3冊買いました…実をいうと補完代替療法のやつはAmazonですでにネット予約していたため自宅にはまだ届いておりません。学会で先行販売していると事前に知っていればネット注文していなかったのになあ。

 他にも、Up To Dateやがん悪液質管理などのエビデンス系講演をいろいろ拝聴してきました。
 
 診療ガイドラインについては医者によって様々な意見がありますよね。専門家が集結してまとめた標準的な治療方針として絶対視する先生、(時が経てば経つほど)最新の臨床試験論文が示されていないことに加え限られた紙面であることから平均的な(漠然とした)表現にとどまる記載が少なくなくあまりあてになさっていない先生、そしてそもそも経験と勘に頼り全く読まない先生、など私の知る限りですがいろいろな先生がいらっしゃいます。
 個人的には、ガイドライン鵜呑みはいかがなものかと思いつつ、思い込みや勘違いを避けるための信頼度高いセーフティーネットという位置づけでガイドラインを拝読させていただいております。あまりに発刊数が多すぎて全部の診療ガイドラインを読んでいるわけではないのですが…

 ちなみに今回購入したガイドラインもまだ読んでおりません。無料サービス宅配便で今夜届きましたので。そのうちブログの話題にするかもしれません。


 私、今年で6年連続の学術大会参加となりました。去年までは4年連続で演題発表をしてきたのですが、病院移籍をしたこともありこれといった演題候補がみつからなかったので今年は演題発表なしでの参加となりました。某委員会にメンバーとして出席という立派な大義名分はありましたけれど。
 JASTROのN先生から「学会発表、無いの?」というご指摘をいただきました。来年は演題エントリーします。

 JASTRO(日本放射線腫瘍学会)のN先生…ご高名な理事長の西村先生、専務理事の根本先生をはじめ、JASTROにはいろいろなN先生がいらっしゃると思いませんか?ジェントルマンから〇人までいろいろ、個性派が多い気がします。以前、某女医さんとこの話題で盛り上がりました。JASTROの先生方、あなたのご存じのN先生はいかがでしょうか?


 今年のポスター発表は紙でなくe-posterのみでした。ここ最近1000件を超える発表なので会場に多数張られる紙ポスターを見るだけでヘトヘトになってしまうのは確かではありますが、それでもザーっと短時間で眺め(≒速読し)ながら気になる発表で立ち止まりチェックできるのは今思うと悪くなかったように思います。「学会終了後にゆっくりPCで閲覧」…私、たぶんいちいち全部を開くことなんてしないんですよね。そして、現地で直接発表者と対談できるのはやっぱり魅力です。ポスター発表が同じ時間帯に多会場で一気に行われるのも困りものですが、なんとかならないものかなあ?

 来年の第22回学術大会は帝京大学の有賀先生が大会長で横浜開催だそうです。メインテーマは「集い対話する」、今から楽しみです。スィーツセミナーもあるそうです。
http://jspm2017.umin.jp/greeting/index.html
 今年は日本臨床腫瘍学会との合同企画シンポジウム「がん治療と緩和医療の統合のための相互教育」がありましたが、来年は日本放射線腫瘍学会との合同企画があってもいいなと思いました。テーマは緩和的放射線治療…ありきたりですかね。


 繰り返しになりますが、来年から再び演題エントリーいたします。陽子線治療関連の発表って過去にあったのだろうか?BNCTも緩和医療に役立ちそうです。あ、サイバーナイフも。



【2016/06/19 21:57】 | 緩和医療
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 久しぶりにブログ更新です…


 久しぶりに昨日、6月まで勤務していた病院へ行きました。今年で4度目となる緩和的放射線治療に関する講師としてお招きいただきまして。

 去年まではホームということで少し気楽でしたが、今回はアウェーなのでいちおうジャケットとネクタイで正装し気を引き締めて訪問させていただきました。別に仲が悪いというわけではありません…少なくとも私の方は、ですが。


 この緩和ケア研修会ですが、厚生労働省から通達された
 『がん対策基本法に基づくがん対策推進基本計画(平成19年6月15日閣議決定)において、「すべてのがん診療に携わる医師が研修等により、緩和ケアについての基本的な知識を習得する」ことを目標としています。これを受けて、がん診療に携わるすべての医師が、緩和ケアについての基本的な知識を習得し、がん治療の初期段階から緩和ケアが提供されることを目的に、これら医師に対する緩和ケアの基本的な知識等を習得するための研修会を行うように、各都道府県に厚生労働省健康局長通知「がん診療に携わる医師に対する緩和ケア研修会の開催指針(以下、開催指針と略)」(平成20年4月1日付け健発第0401016号)』(日本緩和医療学会HPより引用)

を受けて、日本緩和医療学会が
 『「開催指針」と厚生労働省委託事業「平成20年度がん医療に携わる医師に対する緩和ケア研修等事業」(平成20年5月9日付け健発 0509004号)を受け、「緩和ケアおよび精神腫瘍学の基本教育に関する指導者研修会(以下、「指導者研修会」)」と「がん診療に携わる医師に対する緩和ケア研修会(以下、「緩和ケア研修会」)」を組み込んだ教育プログラムを作成し、これらを「日本緩和医療学会PEACEプロジェクト」として実施することとなりました。』(日本緩和医療学会HPより引用)
http://www.jspm-peace.jp/

 凝縮して書くと「全国のがん拠点病院はPEACE資料などを使って医療者向け緩和ケア研修会を開催してね」といった感じです。


 で、結構な量であるPEACEプロジェクトの講義用スライド集の中に、補助として緩和的放射線治療の講義用スライドもいくつか混ざっています。
http://www.jspm-peace.jp/data/v3_a/M-3_%E3%81%8C%E3%82%93%E7%96%BC%E7%97%9B%E3%81%AE%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%81%A8%E6%B2%BB%E7%99%82.pdf

 なるべくなら全国共通の同じような内容で講義をした方が望ましいのでしょう。
 
 ただ、PEACEの放射線治療スライド集に関しては、私がもし聴講したら睡眠導入剤になってしまいそうな文字ばかりなのです(ごめんなさい)。ということで、PEACEは一部を利用させていただき、地元医療従事者たちのニーズになるべく合うよう写真や図をいろいろ混ぜた自前のスライドを中心にお話しています。

 「あんちぴーす」というつもりは毛頭ございません。

 もちろん、内容が大きくずれるようなことにはならないよう配慮しているつもりです。代表的な緩和的放射線治療対象である骨転移をはじめ、このブログでもちょくちょくご紹介させていただいたMSCC、腫瘍出血、消化管閉塞、脳転移などなど、いろいろな状態・場面で症状緩和に有効な治療選択肢になりますよ!というお話をさせていただいています。

 ぶっちゃけ、このブログを見なおすことで自分自身にも結構勉強になっております(笑)


 よくよく聞くと、緩和ケア研修会の講義を担当なさっている他の地域のお知り合いの放射線腫瘍医の方々も私と同じようなスタイルをとられていらっしゃる場合が少なくないようです。
 
 緩和の先生方と違って(?)、放射線腫瘍医って個性的な独り者が多いのか…もしかして、私の知り合いだけ?
 
 類は友を呼ぶ…前にも書きましたっけ??


 しかし、今回の研修会は(お知り合いの)ご年配のお医者さんがたくさん参加されていました。最近、がん拠点病院に所属するお医者さんに対する研修会参加が(ほぼ)義務化という厚労省通達がなされたからのようです。

 「へ~、この先生もこの研修会をまだ受けていらっしゃらなかったのか~」と思いつつ、短い休憩時間に諸先生方と軽くご挨拶をいたしました。


 で、今回の私の講義ですが、最近参加が多かったお医者さん以外の医療従事者向けにスライドを作成していたからか、私の講義が物足りなかったからか、30分枠しかないのに途中からご年配の先生方のまぶたがとても重そうでした…

 次回は(また講師としてお呼びいただけるようでしたら)、ご年配の先生方の睡眠導入剤にならないよう、久しぶりに講義スライドを見直してまいります。
 今年度は母校の大学病院を含め他の施設で同じようにあと2回も研修会講師としてお招きいただいておりますし。


 PEACEスライドがどうのなんて偉そうに書けませんね。申し訳ございませんでした。


【2015/12/07 18:12】 | 緩和医療
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 先週末、パシフィコ横浜で開催された第20回日本緩和医療学会学術大会に参加しました。私は今年で5年連続5回目の参加、発表は4年連続(でも論文化は未…大いなる課題)。2年連続で腫瘍からの出血に対する緩和的放射線治療についてまとめました。


 今回の学会で特筆すべきは、ついに発表演題やスケジュールがオンラインで確認できる電子抄録アプリやWeb版が採用され、重く分厚い冊子のプログラム集を持ち歩かなくてすむようになったこと。とても有り難かったです。ちなみにこれ、放射線科の学会でも2年くらい前から採用されています。
 写真の小冊子(右下のやつ)も持ち歩きましたけど…紙は紙で便利 (笑)


 
 また、アプリからネット上で各演題に対するコメントや質問ができるようにもなりました。これもとても良いと思いました。今回も全部で1000くらいある一般演題は全部ポスターであるうえ、実際の発表時間が同じ時間帯に集中しているので、自分自身がポスター発表しなければならないと疑問を感じ内容が変だと思われる演題であってもこれまでは質問する機会すらありませんでした。
 しかし、このネットコメントシステムではそういった演題に対してもいろいろなやりとりが可能となります。皆さん使い慣れていないからか、座長ですらそのシステムを利用していないケースが少なくなかったようですし、またせっかく私がコメントした内容に対する回答も演者からいまだにありません(ということは永久にない…?)。
 でも、慣れればとても便利で有用です。学会にわざわざ行かなくても済むくらいに…。是非これは来年以降も続けていただきたいものです。

 
 緩和的放射線治療の発表数は例年通りでそんなに多くはありませんでしたが、今年気になったのは放射線治療に関する晩期有害事象(いわゆる後遺症)の発表がいくつかあったことでした。放射線脊髄症とか重粒子線治療後の末梢神経障害とか全脳照射後の認知症とか。どれも放射線治療の設定に改善の余地がありそうな治療内容でしたが、他科の先生方から負の側面の発表がなされるのもある意味大事だと思います。(前述ですが)Web質疑応答ができるようになればさらに良くなると思われ…。

 もちろん他の緩和医療関連のいろいろなご講演も拝聴しましたが、個人的には(緩和医療とは直接の関係はないかもしれないのですが)吉備国際大学の京極真先生による「建設的に対立するには、どうしたらよいか?信念対立解明アプローチ入門」という招聘講演が一番関心を惹きました。数年前から一部で注目を浴びている領域のようですが、実は今回拝聴するまで私はその内容をよく知りませんでした。
 前にも書きましたが、がん診療において放射線腫瘍医はどうしても他科の医療者と主張対立することが少なくありません。対立しない先生は基本「イエスマン=あてや」です。同業者には(利用しやすい)良いお医者さんかもしれませんが、患者さんにとって本質的に良いお医者かというと…。
http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-107.html

 この手法は対立を実践的に解明し問題解消につなげ、うまくゆけば解決もできるアプローチとのこと。詳細記載は省きますが、構造構成主義、信念対立解明アプローチという最近の哲学論、個人的に要チェックです!
 おもわず重い書籍も買っちゃいました…分厚い抄録が無かったし。


 しかし今年も、あのパシフィコ横浜ですら会場通路に溢れる(女性優位の)多数の参加者でした。私はお友達と外で定例ランチでしたが、ランチョンセミナーもどこも満員だったみたいです。正直、(女性ばかりの)人混みは苦手です。


 来年は京都で開催、個人的には新しい職場の緩和的陽子線治療の報告ができればいいなと勝手に思っています…約300万円の治療費、賛否両論出そうですが。



【2015/06/23 23:52】 | 緩和医療
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 先週末、東京の慶応義塾大学信濃町キャンパス東校舎で開催された「第7回JKがんリハビリフォーラム」に出席してきました。このフォーラム、順天堂大学さんと慶応大学さんのクローズの会(JuntenとKeioの頭文字をとってJK)として当初はスタートしたそうなのですが、がん患者さんの治療やリハビリに関する多職種オープンカンファレンスとして今に至るそうです。

 (私は初参加でしたが)今回は2つの特別講演のあと、各施設から症例検討を主としたいろいろな演題発表がありました。


 最初のご講演は、奈良県立医科大学整形外科の城戸先生による「骨転移キャンサーボードの取り組み」と題した5年間の運用経験について。骨転移診療に限定した国内で先駆的で積極的なご施設からの報告でした。

 骨転移というのは、つらい痛みへの対応はもちろんのこと、一生治らないかもしれない病的な骨折を起こす危険性やだんだん悪化する可能性がある全身の病状など、治療法の選択やリハビリをはじめとする心身のケアが難しいことが少なくありません。骨という部分だけを診て姑息的に対応できるものではなく、主治医はもとより整形外科医、放射線科医、緩和ケア医、看護師さん、リハビリなどの療法士さん、心理士さん、在宅療養を見据えたソーシャルワーカーさんやケアマネさんなど、多職種の関与が大変重要になります。また、骨転移というのはがんを診療する可能性があるほとんどすべての診療科でかかわる可能性がある病態でもあります。
 限られた診療科メンバーで構成される臓器別のキャンサーボードよりも、はるかに多くの医療従事者が参加しうるのが骨転移キャンサーボードなのかもしれません。

 などと偉そうに書いたものの、実は私もまだ骨転移キャンサーボードを自施設で行った経験はありません。多職種をまじえた院内全体でのキャンサーボードというものを昨年からはじめたうちの施設にとって(臓器別は以前から行っていました)、今後のために大変参考になったご講演でした。


 2つ目のご講演は、東大宮訪問看護ステーション作業療法士の佐治先生による「地域におけるリハビリテーション」、在宅での骨転移患者さんへのリハビリ対応を中心としたお話でした。

 医療者により様々な制限や拘束を余儀なくされる入院生活と違って、骨転移治療後などで筋力低下したり、骨折などの危険が心配されコルセットなどの装具や歩行器などが必要だったりしても、自宅に戻るとそんなことお構いなしの生活をしてしまう方が(私の予想通り)少なくなく、リスクがあってもなかなか止められない状況があるそうです。
 「自分でできるかぎり自分でしたい」…ご本人の自立した生活とご家族の介護が中心となる在宅。地域におけるがんのリハビリテーション啓蒙はまだ始まったばかりだそうですが、病診連携の大切さを改めて教えていただきました。

 私を含めた病院スタッフも在宅診療の現場を直接経験する機会をつくるべきかもしれません。


 このフォーラムの存在、facebookお友達の先輩Drからの情報で知りました。ありがとうございました。放射線腫瘍医の参加ってこれまで何人くらいいたのだろう?機会があったら、また参加してみたいものです。

 たまたまなのですが慶應大の某先生と緩和医療系の打ち合わせ会をする必要があったこともあり、ついでと言ってはなんですが慶応大学病院さんをざっくりですがはじめて見学しました。慶応大さんでは放射線治療装置のことを「リナック」って呼ぶのですね。
 病院はこれからいろいろな新築工事が予定されているそうです。なかなか風情のある歴史ありそうな建造物が多い病院でした。

 その後は新宿まで散歩して、以前から気になっていた新宿眼科画廊さんにちょっと立ち寄りました。なんとも不思議な雰囲気の画廊でしたが、また興味深い催しがあったら立ち寄ってみたいものです。

 で、〆は東京駅で電車の最終まで朋友と飲み会。あっという間に時間が過ぎ、私も話足りなかったです。また、よろしくね~。

 楽しい一日でした。


 ここ1か月、いろいろあってブログ投稿が滞ってしまいましたが、いろいろあってまた少し滞るかもしれません…


【2015/03/10 22:19】 | 緩和医療
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 第19回日本緩和医療学会学術大会が来月神戸で開催されます。私もポスターで演題発表です(が、ポスターはいまだ全くできあがってません…)。

 学術大会のポスターには「これでいいのだ!」というメインテーマとともに故 赤塚不二夫さん原作の天才バカボンが掲載されています。今回の学会大会長、島根大学医学部附属病院の齊藤洋司先生ご挨拶文を学術大会HPより一部転載させていただきます。
 『このテーマは、患者さんや家族がその一瞬、その日、その月、その年をこれでよかった(これでいいのだ!)と思える、その人らしい生活を支えることが緩和ケアであるという思いを込めたものです。医療者は日々の緩和ケアを振り返り、これでいいのだ!と思える緩和ケアを提供していく、これもこのテーマに込められたものです。』

バカボン


 先日、『「バカボン」という言葉はサンスクリット語で「悟りを開いた人」「知恵物」という意味』だということをたまたま知りました。少しネット検索してみたところ仏教哲学に関係する面白い投稿がいくつかありました。知る人ぞ知る話なのかもしれませんが、個人的にはよく知らない分野だったので(無断)引用中心にまとめてみました。
 なお、『 』内は原文のままです(ので今回の投稿はいささか長いです。コピペばかりですが…)。


1.真言宗 福仙寺さんのHPより
http://www.navitown.com/fukusenji/qa2/qa2.cgi?mode=dsp&no=77&num

『(中略)インドの古語サンスクリット(梵語)の「薄伽梵;バギャボン」の事と、漫画家;赤塚不二夫の「天才バカボン」について!

Q;梵語の薄伽梵・婆伽梵(バカボン;バカヴァット;バギャボン)とは?
A;サンスクリット語でブッダ(シャカ;釈迦牟尼)のこと、インドでは自己の意識を自由にあやつる「天才」を意味したり、貴人の尊称だそうです。
ところで赤塚不二夫の、「天才バカボン」は、同じ音である「バギャボン」に似ていると、以前から思っていました。
多くの人に親しまれた赤塚不二夫の漫画に、「天才バカボン」というキャラクターがいます。バカボン父子の言動が私たちを、楽しませてくれたヒット漫画でした。 
その名前は(古代インドの言葉:バカボン;バカヴァット;バギャボン)を、意識して付けたわけではなく、たぶん幼児を親しんで呼ぶ「馬鹿なボン(坊や;坊ちゃん)」という意味だろうと、最初はそう思っていました!

タイトルおよび、作中のキャラクター名である「バカボン」の語源は、現在公式には梵語の「薄伽梵」(バギャボン・釈迦如来)に由来するとされています。これはテレビ番組「トリビアの泉」で紹介されました。
また、バカボンパパの決まり文句「これでいいのだ」も、「覚りの境地」の言葉であるようで、何時も竹箒を持ったレレレのおじさんも、お釈迦様のお弟子の一人で、「掃除」で悟りをひらいたチューラパンタカ(周利槃特=しゅりはんどく) を、モデルにしているようです。なおタイトルに「バカボン」とあるものの、当作品において主に活躍するのはその名を冠したキャラクター・バカボンではなく、父親の「バカボンのパパ」です。実際バカボンが登場しない話が数話ある。
(以上「トリビアの泉」より)
だから「バカボン」とは、実際は「バカボンのパパ」をさし、言動は「覚りの境地」を持った「仏陀」のことを、笑いに表そうとしたのでしようか?

それはさておいて、「バカボン」の元祖は、「ブッダ;釈迦」です。「天才バカボン」とは正反対になります。
薄伽梵とは古代インドの梵語、バカヴァットの音訳で、バカボン・バギャボンとなります。 

「これでいいのだ!」は、納得した深い悟りの境地に通じた言葉のようです!?
バカボンのパパは、口癖のように「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」を連発します。
これ作者の言う「仏のように深い悟りを得た。」言葉なのかも知れません 。

「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」で、後は悩まない。それがバカボンパパの口癖
それは味のある物事の本質を、適切に言い表した言葉といえるかも知れません。
その前提にあるのは、やはり「苦しみ・悩み」を超越した心のように思います。

人はだれもが自分の生きている今が、「・・・なのだ!」「これでいいのだ」と納得できれば、全ての出来事をあるがままに前向きに肯定でき、「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」と、心から納得されるのであれば、後退することなく、前進して行けると思います。 それは悟りの境地なのかも?』

 トリビアの泉、懐かしいなあ。「バカボン」は覚えてないですが…


2.京都生まれの気ままな遁世僧さんのブログ、「今様つれづれ草」より、「天才バカボン」。
http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/26388943.html

『もっとも、少なくとも仏教を学んだり興味のある人間であるならば、
「バカボン」という言葉そのものにピンと来る筈である。

しかし、それが単なる偶然ではなかった。
そして、「トリビアの泉」でも採用された、全く「ガセビア」ではないというのである・・・・・。
情報に疎い私は、そんなのがオンエアされたとは、ついぞ知らなかった・・・・・。

「バカボン」とは・・・「薄伽梵(バギャボン)」から来ているというのである。
「薄伽梵」は“バガボン”とも発音する。
即ち、サンスクリット語の“Bhagavad(ヴァガバッド)”を経典の漢訳に際し、
発音を漢字に音写したものである。
その意味は「覚れる者」という意味で、“Buddha(ブッダ)”と同義語である。

“Bhagavad”は「世尊」とも訳されている。
「世の中で尊敬されるべき方」という程の意味である。
一般に「釈尊」と呼ぶのは略称であり、正式には「釈迦牟尼世尊」という。
尊称の最後の「世尊」は“Bhagavad”を漢訳したものなのだ。

ところが・・・・・
「トリビア・・・」で取り上げられたのはここまでらしい。
M師によると、まだ続きがあるというのである。

バカボンにはチョー天才児「はじめちゃん」という弟がいる。
「はじめちゃん」・・・・
決して奇天烈な名前などではない。
別に何処にでもありそうな名前である。

しかし・・・・・
これもインド学仏教学を学んだ経験があれば、ピンと来る名前なのである。
即ち、東大インド哲学科の碩学で、近年亡くなった中村元(なかむらはじめ)博士の名である。
中村博士は、内外に知られたインド哲学者である。
多くの著作があり、また多くのサンスクリット語・パーリ語経典を翻訳されている。

バカボンの弟・はじめちゃんは中村博士から採った名前というのだ。
赤塚不二夫は仏教にも造詣が深かったのだろうか・・・・。
それにしても、私は子どもの頃『天才バカボン』のアニメを見ては、
テレビの前で泣いて笑い転げたものである・・・・。

要するに・・・・
兄バカボンの良き理解者が弟のはじめちゃんであり、
バカボンもまた弟を慈しんでいる。

以て、バカボンは天才なのである。
天才は奇想天外であり、一種の人智を超越したものがある。
まさに「薄伽梵」なのである。
その「薄伽梵」を理解し得るのは、これまた、まさしく「はじめちゃん」なのである。

「はじめちゃん」の出生もまた、天才的要素に満ち満ちている。
生まれて程なく言葉を話し、程なく立って歩くのである。
まるで釈尊ではないか・・・・。』

 天才バカボン、なんとも奥が深い…仏教哲学とは!


3.Wikipediaの天才バカボン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%B3

『赤塚自身は生前に雑誌等のコメントで異説(馬鹿なボンボン、バガボンド=放浪者、天才=ハジメちゃんとバカ=バカボンのパパとボンボン息子=バカボンの3人合わせて「天才バカボン」とした説、等)も唱えていたことがあった。また1967年4月9日の週刊少年マガジンでの連載第1回では、扉絵の部分に、「バカボンとは、バカなボンボンのことだよ。天才バカボンとは、天才的にバカなボンボンのことだよ」という説明文が記されていた。』

 聡明な故 赤塚不二夫さんのことですから、きっと1~3の全部を意図されていたのでしょうね。


 しかし、「天才バカボン」って実は緩和医療・スピリチュアルケアのイメージキャラクターだったとは!?

 へぇ~

【2014/05/18 16:25】 | 緩和医療
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 広辞苑によると「緩和」とは「ゆるめやわらげること」だそうです。

 先々月のブログでは姑息(照射)という言葉について私なりの問題提起をさせていただきましたが、このポスター発表は緩和という言葉について本研究会発足メンバー目線からの問題提起をなさっていました。
 再び抄録およびポスター発表の一部を『 』内に引用させていただきます。

 『日本語としての緩和という言葉から、ごく一般的な日本人は「末期」や「死」あるいは「がん」などの意味を即座に連想するでしょうか?
 1977年の死の臨床研究会発足時は、当時のひたすら延命を目的とした末期の医療のあり方に疑問を感じていた患者自身や家族(遺族を含めて)、そして医療以外からも多くが期待を持って参加した(→「死の臨床」第1世代と表現)。本会は「死」を取り戻させ、世論を喚起し、宗教関係者など似も多大な影響を与えた。
 本会の80年代後半から90年代には、医療者だけでなく宗教関係者、社会福祉関係者など多様な専門領域からの発表があり、「死の臨床」第2世代ともいえる存在であった。
 2006年に「がん対策基本法」が制定され、一挙に「緩和ケア」という言葉が常用されるようになった。(中略)この現在に至る「緩和ケア」一辺倒時代の特徴として、かつて第1世代が抗したはずの医療者主導の論理が頭をもたげ、本会が問うていたはずの「死」の問題を、希薄化させているといえないだろうか。』

 昨今、早期からのがん緩和ケアが謳われ、関連学会や行政などもその普及啓蒙に力を入れています。それはそれで大事なことだと思います。痛み止めも緩和照射も患者さんの苦痛を減らすのにはまだまだ不十分なようですし。
 ただ、心身の症状「緩和ケア」いう名のもと、医療による(≒医療者が仕切る)患者管理状態にはまってきてはいないだろうか?という漠然とした疑念も、ここ数年は私なりにおぼろげながら感じていたところでした。新進気鋭の緩和系の先生方のご発表や著書を拝見するたび、何故かますます…
 そんな中、このご発表は本研究会初参加だった私の疑問点を明確に指摘し、また日本死の臨床研究会の歴史・経緯についてもわかりやすく解説していただき、個人的には大変貴重な情報が得られました。やっぱり医療系の発表が目立ってきていたのですね。


 『ターミナルケアや死の臨床という言葉には、「死」および「死後」をも視野に入れた看取りを中心とした問題だったはずなのに、看護学テキストも緩和ケアに言葉を変えてからは死後看護も死後の世界観も、ましてや宗教ごとなども記載が消えた』ともありました。

 昨年、惜しまれつつがんで逝去された在宅医療の第1人者岡部健先生は、以前ご講演で次のように語られておられました(以下、私なりの要約です)。
 『日本では戦後、病院で亡くなる方が多くなり、見取りに慣れていない家族が多くなった。また病院、医療の現場は合理性を優先しているが、人の死は合理的なものではない。スピリチュアルケアもキリスト教主体の欧米の真似をしているだけで、日本の個々の死生観、宗教的価値観を考慮する部分に乏しい。その結果、見取りの場でのひずみが大きく生じてきている。死の受容は宗教にすがらないとなかなか耐えきれない部分がある。また宗教者は祈りをささげることで自然の力にアースできるが、日本の医療者は患者の訴えを自分で抱え込みアースできずに燃え尽きることがある。欧米では医療者もチャプレンに吐き出すことができ、日本にもそういったはけ口を作る必要がある。スピリチュアルケアは医療者だけでの対応には無理があるが、日本の医療現場では宗教性を排除しすぎた。』

 スタッフ教育を含めた今の医療現場には、もっと宗教を、そして死を「身近」に感じられる環境が整備されるべきなのでしょう。
 
 う~ん、特に死生学や宗教に関しては知識不足な私の下手なコメントが書きずらい…これは今回、引用(ばかりですが、それ)だけで止めさせていただくことにします。


 正直、一人ではとても全部見きれない第8会場まで欲張らずに、「死」「お看取り」に特化した演題にもっと限定しても良いように感じました。いわゆる「緩和医療」に関する演題は、きっと本来発表すべき場の日本緩和医療学会のほうに出していただいて。
 とまあ、書いてはみたものの、実際問題あちらの学会も年々演題数が増加の一途をたどっているようで、抄録集がどんどん分厚くなり重くて持ち運びにくくなるくらい演題数や参加者が増えてきているようですけれど。抄録は紙媒体ではなく電子ファイルとすればいいのでしょうが、それでは私を含めた年配参加者がきっと困ることでしょう…。そして演題エントリーが多すぎて採択されなくなってしまうのは困るのも確かです。勝手ですね。

 以上、研究会初参加者のなんとなく印象記でした。


 PS:もちろん他の演題も聞いてきました。



【2013/11/19 02:33】 | 緩和医療
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 11月2-3日に島根県の松江市で開催された「第37回日本死の臨床研究会年次大会」に初参加しました。何年も前から気になっていた研究会だったのですが、諸事情で参加のチャンスがありませんでした。

 今年は60年ぶりという出雲大社の平成大遷宮、しかも全国の神々が出雲に集結するとされる神有月(旧暦10月)に研究会開催という大変魅力的な部分もございまして、約四半世紀ぶりに遠路島根へ…


 研究会場内には私の想像よりはるかに多くの参加者がいらっしゃって、なんと第8会場までありました。噂によると参加者は全部で2000人くらいだったそうです。たしかに37回も開催されている歴史ある研究会ですからね~

 ただ、事前に確認していたプログラムや演題名などをみる限りですが、個人的には「日本緩和医療学会との違いって何?」という疑問もなんとなく感じての参加でした。
 そして、実際に研究会に参加して抄録やポスター発表などをざっと見渡してみると、その疑問はさらに強まりました。緩和・ホスピス病棟や在宅診療での終末期に関わる医療系ものの発表が大変目立ち、参加者も医療者系が多そうな印象でした。
 研究会HPなどを通じて、医療者だけでなく宗教者・患者さん団体など、さまざまな職種・立場の方が集い死について考えるユニークな会なのだろうと前から想像していただけに、いささか拍子抜けの感もありました。

 もちろん別に悪いと書いているわけではございませんのでご容赦ください。「日本緩和医療学会とかなり似てるな」って率直に思っただけです。


 そんな私の目に飛び込み、(事情もよく知らないのに)思い切り共感してしまったポスター発表が一番最後にありました。

 演題名は「緩和されてしまったのか 死の臨床 -ターミナルケアはどこへ行った―」。淑徳大学の田宮仁先生のご発表でした。
 
 抄録掲載の【目的】の部分を(一部改変)引用させていただきます。

 『かつて頻繁に使用されていた「ターミナルケア」や「死の臨床」という言葉が、近年では「緩和ケア」という言葉遣いに変化している。その変化は、医療者にとっては違和感のない当然のことかもしれない。しかし、患者側であり「ターミナルケア」や「死の臨床」という言葉に惹かれて本会に参加した者には、少なからず戸惑いと違和感がある。(…以下、略)』


 長くなりそうなので、次回に続きます…


【2013/11/07 20:56】 | 緩和医療
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 パシフィコ横浜で6月21-22日に開催された第18回日本緩和医療学会学術大会に参加してきました。一番大事でいろいろな意味で緊張した口演発表もしてまいりました(笑)

 今回の学会における私のひとつのテーマは、自分がかかわる緩和ケアチームのあり方、特に放射線腫瘍医としての存在意義についてでした。具体的には、痛みを主とした症状緩和に対する放射線腫瘍医としての院内スクリーニング(該当患者さんの拾い上げ)、そして予後(残された余命予測)やその方々が置かれた様々な状況下におけるチームとしての放射線治療の適応判断について。

 緩和ケアチームとは ⇒ http://kanwaedu.umin.jp/baseline/index.html


 そんななか、第2日の朝一番で「End of lifeを考える〜日本人の和の心〜」というパネルディスカッションがありました。「和」という文字を昔から大切にしてきた私は、前夜の二日酔いにめげず何とか早起きをして聴講しました。
 座長の飛騨千光寺の大下大圓氏による基調講演の抄録に以下の文章がありましたので、(無断)引用させていただきます。
 『日本人が大切にしてきた心性を表す言葉として「和」がある。この言葉を大漢和辞典(1971)に解釈を尋ねると「こえを合せる、やわらぐ、かなう、あつまる、ゆるす、なかなおりをする」とあり、古字においては「龢」であり、(中略)この字を分解して考察すると、「家族単位で住む集落において、協同して社会を構成する」というコミュニティの在り方を示している。』

 大下大圓氏のご講演で個人的に一番印象に残ったのは「ただ仲良くではなく、みんなで力を合わせて目的に向かうプロセスが大切なのです」というお話でした。「和」はともすれば仲良し≒同業者同士の楽でなあなあな対応になりがちなリスクもあります。そうではないんだよ、というお話(私の解釈)を伺い、とても共感を得ました。
 このセッションでは、その他にもホスピスや在宅医療の最前線で活動されている先生や臨床宗教師という新たなご活動をなさっている先生から大変有意義なご講演を拝聴できました。


 少しそれますが、がん疼痛緩和で日本の第一人者の武田文和先生も、私が前夜に初参加させていただいた二日酔いの原因でもあるSCORE-G(医師と薬剤師を中心に全国の有志が集まって、緩和医療の現場で役に立つ共同研究や、わかりやすい情報提供を目指して設立された研究会)の懇親会で、『他の先進国と比べるといまだ少ないがん疼痛における医療用麻薬の年間消費量。海外のマスコミ関係者の中には、余りに少ない日本の年間消費量を知って、「日本人のがんは人種的に痛みを起こしにくいがんなのか」という解釈をした人すらあった。仲良く医療をするだけでなく、もっと適切に痛み止めを使用するようはっきりと議論しないと』といった趣旨のお話(私の解釈)をなさっていました。


 「仲間内は仲良くしないとうまくいかないよ」って言う方もいらっしゃいます。それはそれで一理あります。でもあくまで私の経験上ですが、表面上の『なあなあ』は中長期的にみるとたいてい組織の体質が澱む気がしています。前向きに意見がぶつかり合うのは、ある程度必要でしょ?
 もちろん(自戒を込めてですが)全く引かずに自論を押し付けるのもどうかとは思います。なんにも意見を言わないのも同レベルです。バランスなんでしょうけどね。

 そうそう、笑顔が大事ともいいますね。ただ、私の場合、無理に笑顔を作るとどうもしらじらしく表情が引きつった感じに見えてしまうようなのです…。悪気はない(つもりな)ので、スタッフの皆様、どうぞお許し下さい。


 以上、抽象的な表現でごまかして(?)申し訳ございませんが、うちの病院における緩和ケアチームのあり方、そして放射線腫瘍医としての関わり方が少し見えてきた今回の学会でした。



(第18回日本緩和医療学会印象記、その2へ続く…)


【2013/06/24 01:01】 | 緩和医療
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