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放射線治療にたずさわっている赤ワインが好きな町医者です。緩和医療や在宅医療、統合医療にも関心があります。仕事上の、医療関係の、趣味や運動の、その他もろもろの随想を不定期に更新する予定です。
 今日、お知り合いの先生と30年くらい前の大学時代の話でちょっと盛り上がったので、備忘録としてこのブログにもあえて残すことにしました。およそ3年前に母校の大学医学部サッカー部50年記念誌へ寄稿したもの(一部改変)です。

 完全に自己満足の世界ですが、ご容赦ください。
 
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『夕方まで爆睡、のちサッカー練習、のち飲み、たま~に講義、の毎日』
 
 〇大学サッカー部50周年記念誌への寄稿案内があってから、何を書こうかずっと悩んでいました。在籍6年、テーマは山のようにあるはずなのですが、9月の締め切りが来ても筆が止まったまま、問題先送り状態で時だけ過ぎました。10月に入り、「まだ間に合うから」とのご連絡をいただき、久しぶりに学生時代のアルバムを眺めてみました。楽しかったこと、つらかったこと、懐かしかったこと、思い出したくないこと、やっぱりいろいろありました。ということで、今回は自分の思いつくままに書くことにしました。

 私は医学部に入ったらサッカー部に入ろうと決めていましたし、入学直後の新入生ミルクコンパ(建前上はお酒が飲めないので、このようなネーミングになっていたはず)終了後に即、部室に案内していただきました。先輩に導かれ妙に薄暗い廊下を通り部室のドアが開くと、パッと目の前が明るくなり後光が差すかのように正面にどっしりと着席されているお2人が目に入りました。「さすが〇大学医学部の先輩は威厳がある!」という第1印象でした。医者になったばかりのK藤先生と5年生のM人さんでした。人を見る目がまだ幼かった私でした。

 私の背丈は169.5cmしかないのですが、入部後ほどなくゴールキーパーをしてみないかと勧められました。私が入学したのは3連覇がかかった東日本医科学生総合体育大会:以下、東医体(Wikipedia:日本国内で行われる体育大会としては、国民体育大会(国体)と西医体に次ぐ第3位の規模!)の年。当時最上級生で高校時代には県代表ゴールキーパーでもあった板橋さんにいろいろご指導いただき、本当に下手糞でしたがチーム事情で選手として出してもらえそうな中で練習しました。しかし、大会直前1週間くらい前の練習で強いシュートを弾くと、手に今まで感じたことのない鋭い痛みが… 手根骨の剥離骨折でした。ボイコットのつもりはなかったのですが東医体1回戦当日の直前練習で再度悪化、見事な3連覇の瞬間はスタンドで指をくわえて観戦していました。

 現役時代は6年間ゴールキーパーを続けさせていただき(現在は全くやっておりませんが)、板橋さんのご指導はずっと私の心の中に強いインパクトを残しています。自他ともに厳しい方で、40台と若くして病に倒れてしまったのですが、闘病でも敬意を表するお姿でした。感謝と共に改めてご冥福をお祈りいたします。

 その後の私たちの東医体は歯がゆい結果ばかりでした。大会で唯一2敗を喫するチーム(4位)に2度もなり、準決勝の相手はいずれも優勝(3年時の弘前大、首脳部時の北大)。また4年時に1回戦PK負けした山形大は準優勝だったと思います。首脳部時代の準決勝北大戦は特に辛い思い出で、私はいまだにビデオを見ることができません。後半2-0でリードしながら1点返され残り5分、たしかカウンター気味に攻め込まれ、中途半端に前に出てしまった私の左脇をコロコロとボールがすり抜け、無人のゴールへ。試合中「気持ちを切り替えよう」と自分に言い聞かせながら、でも同点の尾を引いたままPK戦に突入。そして北大2人目だったか、また似たようなコロコロシュートが私の左脇をすり抜け、結局一人も止めることができずにPK負けでした。あの2つのコロコロはいまだに私の脳裏に焼きつき、一度もビデオを見ていないのに夜中に何度も夢で出てくるくらい残像が記憶されています。負けは負けですし、言い訳がましいですが…。なので、添付写真くらい勝って喜んだ時のものを掲載します(写真)。準決勝で弘前大に負けた時の東医体 3回戦、大雨直後で一部が池のようなピッチかつ凄い強風の中、大逆転で勝利した新潟戦終了直後です。



 大学時代、サッカー以外はよく飲みよく寝ました。最初のお花見では当然初めてつぶれ、記憶なくJさんのアパートに連れられゲロまみれで目覚めました。4 年の時は逆に我が家に今は亡き小玉を運び、台所に巻き散らかれたゲロを処理したこともありました。シャイないいやつでした。

 2年の時の四大戦では、前橋の居酒屋で総勢30人くらいだったか酔っ払い集団が自分の靴下一足を真ん中の足にかぶせただけの姿で群馬大伝統の(?)「異邦人」を合唱させられました。もちろん他のお客さんもいましたけれどお構いなしに、今なら間違いなく(いや当時でも本当なら)警察沙汰です。

 北海道のサッポロビール園にいくたび、ゲロ吐きながら意地になって大ジョッキ10杯の「迷ビール会」入りを競ったこともありました。噛みつく人を押さえたり、殴りあう人を止めたり、飲み会はいろんなことがありました。私の二日酔いは年中で、日中はいつもアパートで休息し夕方の練習に備え体力回復を試みていました。そのためか本業であるべき講義の記憶があまりありません。授業料を支払ってくれた親にはいまだ申し訳なく思っていますし、社会人なりたての時は医学の勉強不足がボディーブローのように効きました(いまだに…?)。

 試合で全国各地に遠征後は、多くの有志部員でレンタカーを借りて地域名産を飲み食いしながら帰ってきたりもしました。自分が出た東医体で優勝できなかったことは本当に悔しかったですが、やっぱり何もかもが思い出です。


 自分の備忘録で人様には面白くなさそうな内容、おわび申し上げるとともに最後まで目を通していただき深く御礼申し上げます。大学時代にサッカー部の一員として過ごせたことを今でも本当に感謝しています。
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【2016/09/02 18:37】 | 普通の日記
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 本日で今年の通常診療業務が終了いたしました。世間は年末休日のようですが、うちは民間病院なので普通に診療いたしました。普段の土曜も普通に診療しております。
 もちろん、規定の休暇(+学会などの出張)は交代でちゃんといただいています。

 もっとも、放射線治療科は休日照射対策があるので、昨今は年末年始休暇中でも放射線治療を行っている施設は公立病院でも普通となりました。以前のブログでも書きましたので、万が一興味ある方がいらっしゃったらご覧ください。
http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-29.html
http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-30.html


 今年も仕事面ではいろいろありましたが、個人的な一番のイベントはやっぱり病院を移ったことでしょうか。関係各位のご指導、ご理解、ご協力のおかげで、移籍後なんとか半年経過することができました。
 かかわらせていただいた皆さま、改めて御礼申し上げます。

 来年は、新規導入するサイバーナイフの研修会に年明け早々から数日間参加したり、(私が大変な立ち上げ準備に関わっているわけではございませんが)BNCT治験が年明けからいよいよ始まったり、リニアックも増設話があったり、陽子線治療のいろいろな多施設臨床試験などの打ち合わせなどがあったり(もしかしたら何かが変わるかもしれなかったり)、いろいろな施設への出張が増えたり、もちろん通常の診療業務がだんだん増えたりと、さまざまありそうです。
 かかわらせていただく皆さま、どうぞよろしくお願い申し上げます。


 ここ半年間、私なりに経験してきた陽子線治療。論文や学会などで仕入れていた耳学問を少し持ち込んでみたものの、実臨床を経験してみるとやっぱりけっこう印象が変わりました。
 陽子線治療を対象とするがん種や病状、放射線治療計画の線量分布、そして治療を希望されて受診される方々、などなど。

 私がこれまで20年以上診療してきた放射線治療とはいろいろな面で違う部分がありました。これまで得てきたものがいろいろな面で役立ったかなと思う部分もありました。

 本音を書くと、着任早々から陽子線治療についてもそういった思いつき話題をいろいろ取り上げてみたいとは思っていたのですが、いざ現場に立ってみると学ぶことが多く、中途半端な日記にできずにおりました。また、今の粒子線治療は特に制度面で過渡期を迎えているようで、なかなか文章にしにくい部分もありました。


 来年はいろいろな面で充分に配慮しつつ、どなたかに少しでも参考になるような話題提供ができればと思っております。

 今後ともよろしくお願い申し上げます。


PS:短期間でも良いのでBNCTや陽子線治療やサイバーナイフや放射線治療患者さんの病棟管理をうちの施設で経験してみませんか?将来、きっと役に立つと思いますよ!


西が無い施設です。




【2015/12/30 19:01】 | 普通の日記
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 先週金曜、私(たち)の医局歓迎会がありました。

 私は歓迎される立場だったため、おそれ多くも理事長と院長の間に着席いたしました。一代でいくつもの施設を立ち上げた凄腕理事長さん。せっかくの機会でしたのでお酒の力もお借りして「すごい施設ですね!」みたいなことをお伺いしてみました。すると
「誰でもできる。やらないだけ」 と。
 即答であっさりとした一言でしたが、逆にずしっと重い言葉でした。やった人にしか言えません。
 
 会の途中で、同じ放射線治療科の若手医師とも話をしました。「なんでこの病院を選んだの?」と尋ねたら、「病棟があって全身管理ができるから」 と。放射線治療科を選んだのも全身が診られる診療科だからとのこと。なんとも頼もしいです。
 実は放射線治療科って全国的に病棟で入院患者さんを診なくなっている傾向にあります。理由はいろいろありますが、忙しくて人が少ないというのが表向きの理由としてよく挙がります。この話題は改めて別の機会にブログで取り上げたいと思います。

 ここの放射線腫瘍医は30代以下の先生が過半数を占めていて、しかも大学の医局人事にあまり関与していない人が多いです。まだ10日くらいしか一緒に働いていませんが、良くも(悪くも)変なしがらみが少なく積極的で伸び伸びと仕事をしている印象を私は受けました。
 50才台のオヤジ医師としては、ハメを外さない限りなるべく見守らせていただこうかと(今のところは)思っております。とりあえず私は「新人」でもありますし…

 医局歓迎会後、先輩医師ご自宅の高級マンションへ私だけ連行され、綺麗な夜景を見ながらサシで美味しいワインをいただきました。一次会からつい調子に乗って飲んでしまい、無事帰れたものの翌朝目覚めたら遅刻で大事な会議をすっ飛ばしてしまいました…いい歳をして社会人として本当にあるまじき失態でした。申し訳ございません。
 

 土曜は別の若手医師らや20才代ばかりの診療放射線技師さんらと歓迎会でした。私は前夜の体調不良がピークで大変な状態でしたが、なんとか一次会は持ちました。
 技師さんもそうなのですが、ここの病院はとにかく若くて元気でやる気ありそうなスタッフが揃った放射線治療部門という印象です。なんとも頼もしいです。


 今になってようやく体調が戻ってきました。なんとも頼りない私です…

 来週も歓迎会です。



【2015/07/12 23:34】 | 普通の日記
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 私事ですが、今月から新しい病院へ移籍いたしました。


 粒子線治療をはじめとするいろいろな放射線治療装置があり、温熱療法なんかもあります。
 
 これまで勤務した施設とは比較にならない規模です。


 スタッフも充実していて、放射線腫瘍医が非常勤を含めると10名以上、治療専属の診療放射線技師さんが20名以上、医学物理士さんも5名以上、放射線治療専属病棟を含め3病棟で入院患者さんの全身管理、放射線治療専属の事務職の方々も10名以上と、大学病院並み(か、それ以上)の人員です。
 
 これまで勤務した施設とは比較にならない規模です。


 日中の時間が空いた時に迷路のような病院内部をぶらぶら散策し、いろいろな部署にご挨拶をさせていただきました。みなさん、優しく接してくださいました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

 田舎の町医者は基本変わり(れ?)ませんが、心機一転で業務させていただきます。


 先月、前任地病院の送別会やご挨拶では
「先生の外来、メリハリあって好きでした」
「アメニティ頑張っていて素敵でした」
「緩和ケアチームに入っていただき本当に勉強になりました」
なんて、信頼していたスタッフの方々から有難い過分なお言葉をいろいろいただきました。
 冗談でもお世辞でも嬉しいものです。ブタもおだてりゃなんとか、です。

 また、もちろん患者さんや利用者の方々から多くのことを学ばせていただきました。移籍先が遠方ということで引継ぎやお別れを告げた方々、ご迷惑をおかけし大変申し訳ございません。

 本当にありがとうございました。

 
 新天地ではさらに多くの利用者さんに「よかった」と感じていただけるお手伝いを目指します。

 そして、いろいろな情報発信を兼ねて思いつき日記は続けていこうと思っています(もちろん病院や患者さんにご迷惑にならない範囲で)。

【2015/07/02 23:00】 | 普通の日記
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 今週末、母校の昭和○年入学・平成✕年卒業医学部同窓会があり、私も参加いたしました。

 例年よりかなり多いらしい60名以上が参加して旧交を温めました。例年といっても医学部全体でその年の当番幹事学年があり、うちの学年での幹事はたぶん初めて。そして私は特に準備係でもなく幹事学年のお気楽メンバー、ごめんなさい。
 ということで、久しぶりに再開した同級生もたくさんいました。

 アラ50にもなると、教授になられた方やら、海外を拠点に仕事をされている方やら、講演をしまくっていらっしゃる方やら、すっかり偉くなられた先生方も結構いらっしゃいます。勤務医やら開業医やら研究者やら行政医やらフリーター医やら、お仕事は種々様々な(医療系)職種がいましたが、学生時代の性格や雰囲気というのはどうやらアラ50になっても基本的には変わらないようでした。

 まあ、こういう席に参加すると、気分だけは学生時代に戻るのでしょう。

 外見は学生時代と見違えるように変貌してしまった方も少なくなかったですが…。アラ50ですし、仕方ありませんかね?


 いろいろ大変な準備をしてくださった幹事の先生方のご挨拶の後、各自の近況報告となりました。

「あの人が教授になるなんて大丈夫なのかしら?」
「ろくに勉強しなかった自分が今大学で学生指導の中心、申し訳ない」
「10億円の借金をしました」

 お酒の力も手伝って言いたい放題、みんなで爆笑するような話もいろいろ出ましたが、なんだかんだ言ってみなさん真面目にお仕事なさっていらっしゃるようでした。もっとも、同窓会に参加されるような方というのは、比較的順風に生きていらっしゃる方が多いのだろうとは想像しますが…。

 「子供が医学部に通っていまして」と嬉しそうに話される方もいたりして、そういう年頃になったんだなあという感じも改めてしました。次に会う時は「孫が…」でしょうか?(笑)

 個人的には7月からの新しい仕事に関係した偶然でびっくりするようなご縁もありました。正直、少し敷居が高い部分もあったのですが、とりあえず参加してよかったようです。


 しかし、医学部教授というのは必ずしも学生時代にガリ勉君だった方がなるわけではないのですね。教授になられる方、アラ50になってなんとなくわかるような気がしてきました。

 「わかる」、そのかっこたる根拠はなく、またあえて理由も書きませんが…。社会人になっていろいろな面で頑張ってこられたのだろうと思います。


PS:(その3)はそのうち投稿します。




【2015/05/18 01:44】 | 普通の日記
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 昨日からパシフィコ横浜で第74回日本医学放射線学会総会が開催されています。

 私は今日夕方からの参加です。夕食を、大学医学部受験を目指した予備校時代に今は無き駿台中山寮の狭苦しい4人部屋で同室だった群馬の放射線診断科の先生と共にした後、予約するのをうっかり忘れたがために横浜からかなり離れてしまった宿泊ホテルで書いています。

 その群馬の先生とは、横浜が定着した春の学会でここ毎年はずっと会食しています。実は、駿台中山寮で同室だった4人中3人が気づくと放射線科医になっていました。群馬の先生は卒後すぐに放射線診断医になられたですが、私は内科研修を3年した後に(当時)放射線腫瘍医だった大学時代の部活の大先輩に勧誘されたのがきっかけでした。
 もう1人は京都の大学を卒業後に連絡が途絶えて、美容形成をしているようだという噂だけ流れてきていました。ところが、私が放射線科専門医試験を受けに行った会場でその先生と偶然ばったり再会、その時初めてお互いに放射線科医をしていたことを知りました。彼は診断医をしてました。最近また音信不通です…(笑)

 以前、AB型のブログの時にしましたが、これも類は友を呼ぶってやつなのでしょうか? 予備校時代にお互い「放射線科医になろう」なんて話をしたことは一度もありませんでしたが。
http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-27.html

 明日は別の朋友と楽しい昼食、夜は高校時代の同級生たちと久しぶりに夕食です。学会場で勉強もしています。


 話変わって、私事ですが、実は縁あってあるご施設さんにそのうち移籍することが内定いたしました。初の超特殊放射線治療装置、初の東京出張診察、初の新幹線通勤、など50歳にしてまた新たな環境でお仕事させていただくことになります。正式手続きはこれからですが、関係各位へご迷惑がかからないよう留意の上、自分なりの情報発信も続けていければと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。

 日本ハイパーサーミア学会にも入会しようと思っています。


【2015/04/17 22:29】 | 普通の日記
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 今日は息子の誕生日、あの阪神大震災の2日後にこの世に生を受けました。

 阪神大震災の瞬間、当時臨月の妻は震源から遠く離れた自宅で「今、揺れたよね?」と。揺れを全く感じなかった私が寝ぼけながら「揺れてないでしょ?」と言っているにもかかわらず気になった妻がTVをつけたら、大変なことに…

 この場をお借りして、改めて多くの犠牲者のご冥福をお祈りいたします。

 今は一人暮らしをしていて別居中ですが、(きっとあまり飲めないであろう)息子もついに20歳。晴れて親子で杯を交わせるようになったことは感慨深く、また先日無事に成人式を迎えられたことに感謝したいと思います。

 20年の月日、いろいろありましたが今思うと早いものです。

 阪神大震災の2年後に生を受けた次女は昨日までセンター試験。実は長女も大学生。みんな大きくなりました。そしてわがままなお父さんは、実は来年からのおこずかいがちょっと気になってます。


 私も妻も四捨五入で50歳。まだまだこれから楽しく頑張ります。


【2015/01/19 23:08】 | 普通の日記
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 昨夜、約4年前に私が着任してから初めて病院全体の新年会が開催されました。駅前のビール園を貸切り総勢200名超もの参加者でした。

 昔は毎年病院全体の忘年会があったらしいのですが、諸事情があって立ち消えになった状態がしばらく続いていたようです。昨夏の医局ビールパーティーで何人かの有志が勢いで病院全体の交流会(忘年会か新年会)を提案し、実はあまり乗り気でなかったけれど病院全体を束ねるには適任者の先輩女医さんを仕立てあげるような形で話が進行し、今回の新年会開催となりました。

 もちろん部署ごとの忘年会や新年会は今でも毎年ありますが、やっぱり全体の交流会がないのは寂しいですし、なかなか職場だと仕事絡みの真面目なお話が中心になり、人となりがわかりにくいものです。

 私が医者になりたての頃は、病院の「中で」患者さんも交えて大忘年会を開催していたこともありました(別の病院での話ですが、そういう施設は多かった記憶があります)。古き良き時代でした。
 今なら新聞沙汰です。世知辛い時代になったものです。

 予想通り楽しい2時間あまりの宴で、ホテルのようなかしこまった会場でもなく、私もいろいろな職種の方々と飲みながらお話しをさせていただきました。勢い余って2次会まで参加し、実はまだいささか顔がむくんでいる状態です。
 今週は病棟待機番。気を引き締めてお仕事いたします。


 準備はいろいろ大変だったようですが、来年も開催されるといいなあ。個人的にはお手軽だし会場も同じでいいんだけど、ラムが苦手って方もいるのが少しひっかかる点?

 関係者の皆さま、ありがとうございました。

図3_convert_20150110130703



【2015/01/10 13:11】 | 普通の日記
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 おかげさまで今回、100回目のブログ更新となりました。

 早いもので去年の1月からこのブログを開設してまもなく2年が経とうとしています。

 このブログをはじめたきっかけは「facebookの投稿ってタイムラインに埋もれてしまうし、(たまにする私の)長めの投稿を別の記録として残したら?」という某先輩ドクターのアドバイスでした。で、備忘録としてブログに残すことにしたのです。
 facebookもまだやってます。というか、むしろ最近は投稿数も多くなり、正直まわりからひんしゅくを買っているのだろうという自覚すらあります。申し訳ありません。そして、facebookでお友達らから戴くコメントもブログネタとして重宝し、しっかり(無断)引用しております(笑)
 
 しかし、テレビは本当に見なくなりました。お仕事はちゃんとしています(よね?)

 総カウンターも1万を超えました。私のお知り合いなどリピーターが多いだろうと思います。おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
 タイトル通り、その時の気分で思いつくままの投稿ばかりですので、自分も何を書いたか忘れつつあり、カテゴリーを少し細かく整理することにいたしました。

 これまでのブログを改めて振り返ってみると、仮面かぶっているはずなのに放射線治療の投稿がかなり多くなってしまいました。
 ご存じのように(?)私のブログは論文紹介とか治療成績といったアカデミックな投稿をあまりしていません。そもそもこれまでたいして論文を書いてないというのが一番の理由です(汗)。いわゆるエビデンスとか医療とはかくあるべき論とか理想論とか前向き論とかをもっと前面に出すブログにすれば、あるいは時の人になっているあの近藤誠先生のように「がん治療のウソ」とか、都会の偉い先生方のように「かくあるべき!」とかいう感じの断定的でセンセーショナルで一般受けしそうな投稿を増やせば、カウンター数はもっと伸びるのかなとも思ったりします。
 私、そういうアピールが得意でないですし、創作文章力も乏しいですし、つまらない見栄をはっても仕方ないですし、姑息(ここは「緩和」ではない)な手段はあまり使いたくないんです…でも、いつかミリオンセラー本を出してみたい!

 私の投稿なんですが、同業者である放射線腫瘍医らを相手に(偉そうに)問題提起しているやつが少なくありません。偉そうに書いてしまったなと反省する時もあります。
 でも、人数は少ないですが若い放射線腫瘍医の先生からたま~に「共感しました」とか「ありがとうございました」というお返事をいただくことがあります。こんなブログでも現役のお医者さんに役立つ部分が少しでもあるっていうのは、すごく嬉しいですし書く励みになりますね。

 とりあえず今の所属がばれないようちょっとだけ努力していますが、結果としてどうにも抽象的な表現が多いブログになってしまってます。これからはもう少し具体的な話題や投稿範囲を広げていこうかなと思ってます…投稿ネタを増やすためにも!

 ざっと見渡す限り、放射線腫瘍医が書いてるブログって少ないですし、患者さんや職場の方々などにご迷惑をかけないよう気をつけながら続けていきたいなと思ってます。

 ブログネタが尽きるまで、または私が飽きてやめるまで、ご愛顧のほど、引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。



【2014/11/12 00:06】 | 普通の日記
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 今日はほっとすることが2つありました。


 1つは地元の友人の奥さんの乳がん手術が無事に終了したこと。

 私は放射線腫瘍医なので、乳がん手術後の患者さんに接する機会が多いです。私と同世代の方々が乳がん好発年齢ということもあって、私の友人などの闘病話を伺う機会が徐々に増えてきました。
 
 友人の奥さんは最初に診断を受けたお医者さんから地元病院の治療を勧められたようですが、知り合いのつてで院長が健康本などで有名な東京の某クリニックでの治療かの選択で悩んだようです。

 人それぞれいろいろな考え方があると思いますが、個人的にはその施設でなければできない特殊な治療でなく標準的な(≒普通の)治療を行っている乳腺外科専門の先生がいらっしゃるなら地元のほうが楽じゃないかなあ?と思っています。
 身体が「楽」だし、気「楽」だし、身近な友人ができて「楽」しいし。

 もちろん知り合いが周りにいないほうが楽という方もいらっしゃるでしょう。遠方であっても今は通信手段を使って話ができますし、患者さん交流会などもあるでしょうし。
 でも、長い目で見たときに遠距離は負担になりますからね。有名だからって腕が…いや、相性が良いとは限らないし。

 で、お二人で熟考の末に地元で手術をうけることを選択され、今日の手術成功となりました…ま、そこも有名な病院なんですが。

 まずはよかったですね!


 2つ目は私の父が無事退院したこと。

 父の病気は命にかかわるものではなかったのですが、やはり入院して手術というのは高齢者には心身ともに大変です。母も健在なのですが父の入院は心配だったようで、最近の私のスマホには普段あまりない業務時間中の留守番電話が何度か入ってきました。

 実は父母とも数年前から我が家の近くに移住してきておりまして、今回入院したのは我が家から一番近い病院。しかも主治医は私の高校・大学の先輩。その点では私も「楽」でした。大変お世話になり、ありがとうございました。

 まずはよかったです!


 かんぱ~い!といきたいのはやまやまなのですが、今夜は病棟待機。明日の歓迎会(同じ病棟の他科のお医者さんが今月着任したので)まで我慢いたします。


【2014/10/30 23:10】 | 普通の日記
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