最近、医療現場などで臨床宗教師という存在が徐々に注目を浴びてきています。
『「臨床宗教師」とは、日本の在宅緩和医療のパイオニアのお一人であった故岡部健医師が英語の「チャプレンchaplain」の訳語として考案した名称ですが、公共的施設などで働く宗教者をさす一般名詞であると考えています。…(中略)…
私達の目指している「臨床宗教師」の大きな特色は、超宗教・超宗派の協力と学びあいを通して養成される宗教者であるということをあらためて確認しておきます。』(東北大学実践宗教学寄附講座HPより引用)
http://www.sal.tohoku.ac.jp/p-religion/diarypro/diary.cgi?field=8
これからの時代の臨床宗教師の必要性に対する主張をはじめとする田中雅博先生のインタビュー記事は、個人的に備忘録として記録しておきたく***以下の『 』内にそのまま(無断)引用させていただきました。
***********************************
http://www.higan.net/news/2016/02/spiritualcare.html
『栃木県の益子町に、ご自身のお寺の境内に病院を開院して、患者さんの「いのちの苦」を緩和する「スピリチュアル・ケア」を実践されている、お医者さんであり、真言宗豊山派のお坊さんであられる、田中雅博さんという方がいらっしゃいます。田中先生は、ローマ法王庁が呼びかけた国際会議にも過去4度も招かれ、仏教という立場からの「スピリチュアル・ケア」の大切さについて講演されました。
末期がんと診断され、余命宣告を受けた現在においてなお、田中先生が文字通り命がけで私たちにお伝えくださろうとしている「スピリチュアル・ケア」とは、いったいどのようなものなのでしょう? そして「いのち」の正体とは......? いまこそ、ぜひ、先生に教えを請いたい、と、無理を承知で取材をお願いさせていただいたところ、快くお引き受けくださいました。
仏の智慧を、いかに現代医療、ひいては社会全体に活かしていくべきか......。抗がん剤の副作用の真っ只中にありながら、ひとつひとつ、丁寧に、真摯にお伝えくださった田中先生の、厳しくもあたたかな眼差しに、私は、真の仏教者の姿、もっと言えば「菩薩」の姿を見た気がいたしました。大きな示唆に富んだインタビューです。最後までじっくりとお読みいただけますとさいわいです。
――田中先生は長年、医師として、また僧侶として、「スピリチュアル・ケア」を提唱され、また、ご自身の医院でも真摯に実践されてきました。仏教は「スピリチュアル・ペイン」=「いのちの苦」に対して、具体的にどのような智慧を授けてくれるのでしょうか?
「いのちの苦」というのは、生老病死すべてのことですが、とくに「死」というのは、「自分」、「我」という存在がなくなることですから、人間にとって大変大きな問題なわけです。
それで、古代インドでは、なんとかその問題を解決しようとして、数百年もの間、出家修行ということが盛んに行われた。その人たちが具体的になにをしたのかというと「ヨーガ」ですね。心のはたらきの制御ですけれど、それを必死に修行していた。ところがそれを達成した人はいなかったわけですよ。
そんな折、お釈迦さまが現れて、はじめて「死」という問題を解決された。そうして「不死の鼓(つづみ)を打つ」と宣言されたわけです。その後、お釈迦さまは遠いところまで歩いていって、修行者が集まっていた場所で「苦集滅道(くじゅうめつどう)」という4つの真実を発表しました。
まずは「苦」ですね。最初に、お釈迦さまは、苦しみという真実がある、ということをおっしゃった。次に7つの苦しみを並べるんですね。生・老・病・死。それから怨憎会苦(おんぞうえく)・愛別離苦(あいべつりく)・求不得苦(ぐふとくく)。そして次に、これら7つをまとめると我に執着する苦、五取蘊苦(ごしゅうんく)となる、と。
五取蘊(ごしゅうん)というのは、般若心経に出てくる五蘊(ごうん)と同じですね。色受想行識(しきじゅそうぎょうしき)という、「我」というこだわりの要素の集まりのことです。この身体と心のはたらき。「この身体が私のものである」とか、「我思う、ゆえに我あり」とか、そういう「我」というこだわりの要素の集まりとして、五取蘊というものがある。我に執着する苦、これこそがまさに「スピリチュアル・ペイン」です。
ここでひとつ押さえておきたいのは、「苦」というのは、「思い通りにならない」という意味の言葉なんですね。ですから、いわゆる現代の日本語の「苦しみ」とは、ちょっと違うと思います。
とにかく、お釈迦さまは、「自分」というこだわりこそが「苦」である、と言いました。次に、じゃあどうして「苦」が生じるのか、というところで「思い通りにしたい」という欲から「思い通りにならない」という苦が生まれる、と。これが「集」。3つの渇愛を説いたわけです。1つめは男女の愛欲。2つめは生存に対する欲求。最後に、死にたい、という欲求ですね。この3つの「思い通りにしたい」という思いから、「思い通りにならない」ということが生ずるのだ、と。非常に単純明快です。
そうすると、その3つの欲がコントロールされたら、苦しみはなくなる、思い通りにならないことがなくなる、と。それで、その欲が完璧にコントロールされた状態を、お釈迦さまは「涅槃」と言ったわけですね。そして、涅槃は、まさに「無執着」である、と。これが、苦集滅道の「滅」ですね。その次に、どうしたらそれを達成できるのかということで、「八正道」を説かれたわけです。八正道の「正」は「完全に」という言葉の漢訳で、「正しい」という意味ではありません。これが「道」ですね。完全に渇愛を制御して生きる道です。
つまり、仏教は人々を「苦」の此岸から、「楽」の彼岸まで運ぶ筏(いかだ)ということになります。これはそのまま「スピリチュアル・ペイン」を緩和する「スピリチュアル・ケア」になりますね。
――仏教は、その成り立ちからして、まさしく「スピリチュアル・ケア」そのものだった、ということですね。では、実際に、臨床の現場ではどういった「スピリチュアル・ケア」が行われているのでしょう?
医師のするべきこととしては、まずはしっかりとした科学的な情報を患者さん本人に提供する。そこが非常に大事なことですね。いのちに関して、自分がいまどういう状況なのかということを、本人にはっきりとわかってもらう。その上で、本人に、その限られたいのちをどう生きるのかということを、考えてもらったり、決めてもらったりする。
そのときに「宗教」というものが非常に大事になってくるんですね。「宗教」というのは、どこそこの神さま、仏さまを信仰するというのだけではない。ひとりひとりにとって、自分自身のいのちを超えた価値というのがあったなら、それこそが本人の宗教だと思うんです。
先ほどはお釈迦さまの話をしましたけれど、この仏教っていうのは、「自分」というこだわりを離れていくという教えですので、自分の考えや宗教を相手に押し付けるということをしないわけです。このことからして、本人の生き方、本人の宗教、そういったものを尊重するのがスピリチュアル・ケアワーカーの役割になります。だから、仏教ではこのように説かれているから、こういう生き方をするといいですよ、というようなことは決して言わない。
日本人には無宗教の人が多い、というようなことを良く言われますけれど、私はそういうことはないと思うんですよ。やはり、この限りあるいのちを生きるための理想というのは、みなさん、それぞれに持っていると思うんです。いわゆる一神教のように、なにか特定のものを信仰するというよりも、仏教のように、「自分」というもの、「我」というこだわりを離れる、あらゆる生き方を尊重する。曼荼羅的な世界観といいますか、あらゆるものをそのままに認めていく。これこそが日本人の宗教であって、日本の文化だと思うんですね。そういう意味で、仏教というのは、まさに、これからの時代にふさわしい宗教ではないかと思います。
――田中先生のご尽力によって、「スピリチュアル・ケア」は、日本の医療の現場にも、少しずつ広まりつつあると思います。しかしながら、一般的な認知度は、残念ながら、まだまだ低いと言わざるを得ない状況です。
私自身、現在の臨床宗教師や臨床仏教師が育ってくれることを非常に願っています。いままでの日本では、スピリチュアル・ケアを医師自らがやろうとしていた。現在でもそういう方はいらっしゃいます。しかしながら、医師というのは、とにかく忙しすぎて時間がないんです。これは日本の医療の問題ですけれども、医師たちは、少ない人数で、非常に忙しく、まったく余裕がない状態で、医療の世界を支えているんですね。なので、医師だけでは、能力的にも、時間的にも、とても十分なことはできないんですよ。医師は人間に関する科学の専門家です。医師免許は人文学を学んで得た資格ではありませんから。
そこで、その部分を担当するのが、スピリチュアル・ケアワーカーという人たちです。日本でも、明治以前、江戸時代までは、仏教のお坊さんが、その役割をずっとやってきていたんですよ。しかし、明治維新以降、そういう人たちがいなくなってきてしまった。
だから、まずは現代の、医師中心の、彼らの過重労働で支えられているような医療現場の状況を変える必要があるんですね。しかし、それは大変に難しいことなんです。というのは、じゃあそのお金を誰が負担するのか、という問題になりますから。当然、日本の社会が負担するいい方法を考える必要があるんですけれども。実際、現在の医療現場のスタッフの数の何倍も必要でしょう。スピリチュアル・ケアワーカー以外にも、多くの職員が必要だと思いますよ。果たしてそのための費用を現代の日本の社会が負担できるのかどうか......。
私自身、何十年も医師をやってきましたけれど、十分にスピリチュアル・ケアをやってきたなんて、とても胸張って言えないですよ。やろうという気持ちはあっても、実際にやっている最中にほかの患者さんから呼ばれたり、急患さんの治療にあたったり......。そういう状況がずっと続いていました。
「スピリチュアル・ケア」が必要だということを、私はずっと言ってきたわけですけれど、自分でそれを十分にやれたかというと、とてもやれてはこなかった......。今後に期待したいところですね。
――多くの進行がんの患者さんの治療に当たられてきた田中先生ですが、奇しくも、ご自身が同じ病に冒されてしまった......。残されたいのちが決して長くはないと知ったいま、先生は、ご自身の「いのちの苦」というものと、どのように付き合っていらっしゃるのでしょうか? そして、「いのち」の正体とは? 現在、どのようにお感じですか?
私は「いのちの苦」というものの滅尽を目指して修行をしている僧侶です。ブッダに憧れて、自分もそれに近づきたいと考えて、ずっと努力をしてきました。しかしながら、どこまで近づけたのか、それは問題ですね。自分では、少しは近づけたかな、とは思っておりますが......。
私自身の「苦」は、もちろんありますよ。ただ、それをコントロールすることは、まあ、ある程度は、できているのではないでしょうか。できている、と思いたいところですね。
「いのち」とは......。ひとつには、現実のいのちというのがありますね。これはお釈迦さまが言った、3つの渇愛、これによって生まれては死に、生まれては死にっていう、そういうものですね。それに対してもうひとつ、理想的ないのちというのがある。智慧の完成、というものですね。こちらの意味でのいのちは、不生不滅なんです。
それを努力目標として修行しているのが、私をはじめとする仏教僧侶だと思うんですね。いわゆる仏と一般の人とのちょうど中間にあって、目覚めを目指して頑張っている人。それを「菩薩」といいます。
私は、生きられる時間としては、もう、あまりないということははっきりしているんですよ。これから先、半年以上生きられる可能性っていうのは、統計からいえば、ほとんどないと思うんです。もし生きているとしても、今度は身体の苦しみが起きてしまいます。そうなってきたときには、もう、とても講演もできなくなるし、原稿も書けなくなるし、取材を受けることもできなくなる。しかし、そういう症状が出るまでの間は、どうにか、できる限りのことはやっていきたいな、と思うんですね。生涯、修行者でありたいと考えています。
――田中先生。本日は、大変貴重なお話を、ほんとうにありがとうございました。
2016年1月21日 西明寺信徒会館にて
聞き手:小出遥子』 (全文引用)
『「臨床宗教師」とは、日本の在宅緩和医療のパイオニアのお一人であった故岡部健医師が英語の「チャプレンchaplain」の訳語として考案した名称ですが、公共的施設などで働く宗教者をさす一般名詞であると考えています。…(中略)…
私達の目指している「臨床宗教師」の大きな特色は、超宗教・超宗派の協力と学びあいを通して養成される宗教者であるということをあらためて確認しておきます。』(東北大学実践宗教学寄附講座HPより引用)
http://www.sal.tohoku.ac.jp/p-religion/diarypro/diary.cgi?field=8
これからの時代の臨床宗教師の必要性に対する主張をはじめとする田中雅博先生のインタビュー記事は、個人的に備忘録として記録しておきたく***以下の『 』内にそのまま(無断)引用させていただきました。
***********************************
http://www.higan.net/news/2016/02/spiritualcare.html
『栃木県の益子町に、ご自身のお寺の境内に病院を開院して、患者さんの「いのちの苦」を緩和する「スピリチュアル・ケア」を実践されている、お医者さんであり、真言宗豊山派のお坊さんであられる、田中雅博さんという方がいらっしゃいます。田中先生は、ローマ法王庁が呼びかけた国際会議にも過去4度も招かれ、仏教という立場からの「スピリチュアル・ケア」の大切さについて講演されました。
末期がんと診断され、余命宣告を受けた現在においてなお、田中先生が文字通り命がけで私たちにお伝えくださろうとしている「スピリチュアル・ケア」とは、いったいどのようなものなのでしょう? そして「いのち」の正体とは......? いまこそ、ぜひ、先生に教えを請いたい、と、無理を承知で取材をお願いさせていただいたところ、快くお引き受けくださいました。
仏の智慧を、いかに現代医療、ひいては社会全体に活かしていくべきか......。抗がん剤の副作用の真っ只中にありながら、ひとつひとつ、丁寧に、真摯にお伝えくださった田中先生の、厳しくもあたたかな眼差しに、私は、真の仏教者の姿、もっと言えば「菩薩」の姿を見た気がいたしました。大きな示唆に富んだインタビューです。最後までじっくりとお読みいただけますとさいわいです。
――田中先生は長年、医師として、また僧侶として、「スピリチュアル・ケア」を提唱され、また、ご自身の医院でも真摯に実践されてきました。仏教は「スピリチュアル・ペイン」=「いのちの苦」に対して、具体的にどのような智慧を授けてくれるのでしょうか?
「いのちの苦」というのは、生老病死すべてのことですが、とくに「死」というのは、「自分」、「我」という存在がなくなることですから、人間にとって大変大きな問題なわけです。
それで、古代インドでは、なんとかその問題を解決しようとして、数百年もの間、出家修行ということが盛んに行われた。その人たちが具体的になにをしたのかというと「ヨーガ」ですね。心のはたらきの制御ですけれど、それを必死に修行していた。ところがそれを達成した人はいなかったわけですよ。
そんな折、お釈迦さまが現れて、はじめて「死」という問題を解決された。そうして「不死の鼓(つづみ)を打つ」と宣言されたわけです。その後、お釈迦さまは遠いところまで歩いていって、修行者が集まっていた場所で「苦集滅道(くじゅうめつどう)」という4つの真実を発表しました。
まずは「苦」ですね。最初に、お釈迦さまは、苦しみという真実がある、ということをおっしゃった。次に7つの苦しみを並べるんですね。生・老・病・死。それから怨憎会苦(おんぞうえく)・愛別離苦(あいべつりく)・求不得苦(ぐふとくく)。そして次に、これら7つをまとめると我に執着する苦、五取蘊苦(ごしゅうんく)となる、と。
五取蘊(ごしゅうん)というのは、般若心経に出てくる五蘊(ごうん)と同じですね。色受想行識(しきじゅそうぎょうしき)という、「我」というこだわりの要素の集まりのことです。この身体と心のはたらき。「この身体が私のものである」とか、「我思う、ゆえに我あり」とか、そういう「我」というこだわりの要素の集まりとして、五取蘊というものがある。我に執着する苦、これこそがまさに「スピリチュアル・ペイン」です。
ここでひとつ押さえておきたいのは、「苦」というのは、「思い通りにならない」という意味の言葉なんですね。ですから、いわゆる現代の日本語の「苦しみ」とは、ちょっと違うと思います。
とにかく、お釈迦さまは、「自分」というこだわりこそが「苦」である、と言いました。次に、じゃあどうして「苦」が生じるのか、というところで「思い通りにしたい」という欲から「思い通りにならない」という苦が生まれる、と。これが「集」。3つの渇愛を説いたわけです。1つめは男女の愛欲。2つめは生存に対する欲求。最後に、死にたい、という欲求ですね。この3つの「思い通りにしたい」という思いから、「思い通りにならない」ということが生ずるのだ、と。非常に単純明快です。
そうすると、その3つの欲がコントロールされたら、苦しみはなくなる、思い通りにならないことがなくなる、と。それで、その欲が完璧にコントロールされた状態を、お釈迦さまは「涅槃」と言ったわけですね。そして、涅槃は、まさに「無執着」である、と。これが、苦集滅道の「滅」ですね。その次に、どうしたらそれを達成できるのかということで、「八正道」を説かれたわけです。八正道の「正」は「完全に」という言葉の漢訳で、「正しい」という意味ではありません。これが「道」ですね。完全に渇愛を制御して生きる道です。
つまり、仏教は人々を「苦」の此岸から、「楽」の彼岸まで運ぶ筏(いかだ)ということになります。これはそのまま「スピリチュアル・ペイン」を緩和する「スピリチュアル・ケア」になりますね。
――仏教は、その成り立ちからして、まさしく「スピリチュアル・ケア」そのものだった、ということですね。では、実際に、臨床の現場ではどういった「スピリチュアル・ケア」が行われているのでしょう?
医師のするべきこととしては、まずはしっかりとした科学的な情報を患者さん本人に提供する。そこが非常に大事なことですね。いのちに関して、自分がいまどういう状況なのかということを、本人にはっきりとわかってもらう。その上で、本人に、その限られたいのちをどう生きるのかということを、考えてもらったり、決めてもらったりする。
そのときに「宗教」というものが非常に大事になってくるんですね。「宗教」というのは、どこそこの神さま、仏さまを信仰するというのだけではない。ひとりひとりにとって、自分自身のいのちを超えた価値というのがあったなら、それこそが本人の宗教だと思うんです。
先ほどはお釈迦さまの話をしましたけれど、この仏教っていうのは、「自分」というこだわりを離れていくという教えですので、自分の考えや宗教を相手に押し付けるということをしないわけです。このことからして、本人の生き方、本人の宗教、そういったものを尊重するのがスピリチュアル・ケアワーカーの役割になります。だから、仏教ではこのように説かれているから、こういう生き方をするといいですよ、というようなことは決して言わない。
日本人には無宗教の人が多い、というようなことを良く言われますけれど、私はそういうことはないと思うんですよ。やはり、この限りあるいのちを生きるための理想というのは、みなさん、それぞれに持っていると思うんです。いわゆる一神教のように、なにか特定のものを信仰するというよりも、仏教のように、「自分」というもの、「我」というこだわりを離れる、あらゆる生き方を尊重する。曼荼羅的な世界観といいますか、あらゆるものをそのままに認めていく。これこそが日本人の宗教であって、日本の文化だと思うんですね。そういう意味で、仏教というのは、まさに、これからの時代にふさわしい宗教ではないかと思います。
――田中先生のご尽力によって、「スピリチュアル・ケア」は、日本の医療の現場にも、少しずつ広まりつつあると思います。しかしながら、一般的な認知度は、残念ながら、まだまだ低いと言わざるを得ない状況です。
私自身、現在の臨床宗教師や臨床仏教師が育ってくれることを非常に願っています。いままでの日本では、スピリチュアル・ケアを医師自らがやろうとしていた。現在でもそういう方はいらっしゃいます。しかしながら、医師というのは、とにかく忙しすぎて時間がないんです。これは日本の医療の問題ですけれども、医師たちは、少ない人数で、非常に忙しく、まったく余裕がない状態で、医療の世界を支えているんですね。なので、医師だけでは、能力的にも、時間的にも、とても十分なことはできないんですよ。医師は人間に関する科学の専門家です。医師免許は人文学を学んで得た資格ではありませんから。
そこで、その部分を担当するのが、スピリチュアル・ケアワーカーという人たちです。日本でも、明治以前、江戸時代までは、仏教のお坊さんが、その役割をずっとやってきていたんですよ。しかし、明治維新以降、そういう人たちがいなくなってきてしまった。
だから、まずは現代の、医師中心の、彼らの過重労働で支えられているような医療現場の状況を変える必要があるんですね。しかし、それは大変に難しいことなんです。というのは、じゃあそのお金を誰が負担するのか、という問題になりますから。当然、日本の社会が負担するいい方法を考える必要があるんですけれども。実際、現在の医療現場のスタッフの数の何倍も必要でしょう。スピリチュアル・ケアワーカー以外にも、多くの職員が必要だと思いますよ。果たしてそのための費用を現代の日本の社会が負担できるのかどうか......。
私自身、何十年も医師をやってきましたけれど、十分にスピリチュアル・ケアをやってきたなんて、とても胸張って言えないですよ。やろうという気持ちはあっても、実際にやっている最中にほかの患者さんから呼ばれたり、急患さんの治療にあたったり......。そういう状況がずっと続いていました。
「スピリチュアル・ケア」が必要だということを、私はずっと言ってきたわけですけれど、自分でそれを十分にやれたかというと、とてもやれてはこなかった......。今後に期待したいところですね。
――多くの進行がんの患者さんの治療に当たられてきた田中先生ですが、奇しくも、ご自身が同じ病に冒されてしまった......。残されたいのちが決して長くはないと知ったいま、先生は、ご自身の「いのちの苦」というものと、どのように付き合っていらっしゃるのでしょうか? そして、「いのち」の正体とは? 現在、どのようにお感じですか?
私は「いのちの苦」というものの滅尽を目指して修行をしている僧侶です。ブッダに憧れて、自分もそれに近づきたいと考えて、ずっと努力をしてきました。しかしながら、どこまで近づけたのか、それは問題ですね。自分では、少しは近づけたかな、とは思っておりますが......。
私自身の「苦」は、もちろんありますよ。ただ、それをコントロールすることは、まあ、ある程度は、できているのではないでしょうか。できている、と思いたいところですね。
「いのち」とは......。ひとつには、現実のいのちというのがありますね。これはお釈迦さまが言った、3つの渇愛、これによって生まれては死に、生まれては死にっていう、そういうものですね。それに対してもうひとつ、理想的ないのちというのがある。智慧の完成、というものですね。こちらの意味でのいのちは、不生不滅なんです。
それを努力目標として修行しているのが、私をはじめとする仏教僧侶だと思うんですね。いわゆる仏と一般の人とのちょうど中間にあって、目覚めを目指して頑張っている人。それを「菩薩」といいます。
私は、生きられる時間としては、もう、あまりないということははっきりしているんですよ。これから先、半年以上生きられる可能性っていうのは、統計からいえば、ほとんどないと思うんです。もし生きているとしても、今度は身体の苦しみが起きてしまいます。そうなってきたときには、もう、とても講演もできなくなるし、原稿も書けなくなるし、取材を受けることもできなくなる。しかし、そういう症状が出るまでの間は、どうにか、できる限りのことはやっていきたいな、と思うんですね。生涯、修行者でありたいと考えています。
――田中先生。本日は、大変貴重なお話を、ほんとうにありがとうございました。
2016年1月21日 西明寺信徒会館にて
聞き手:小出遥子』 (全文引用)
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先日、がんのリハビリテーションをテーマにした院内研修会があり、エビデンスと多職種連携についていろいろな情報を教えていただきました。以前に紹介したがんのリハビリテーションガイドラインについてもわかりやすく解説していただきました。
http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-117.html
うちの病院では月に1~2回くらいリハビリテーションを施行中の骨転移患者さんを主に骨転移カンファレンスを開催しています。リハビリ科の理学療法士・作業療法士さんや整形外科・外科・放射線治療科などの医者(いちおう私も)、がん専門看護師さんや緩和ケア対策室の看護師さん、医療ソーシャルワーカーさんなどが一同に会し、『患者さん・ご家族の希望や問題点の共有やリスクの確認(安静度の設定や外固定の必要性)、治療適応(手術や放射線治療など)、ケアの注意点、リハビリテーションの目標、退院調整について、など症例に合わせて様々な検討を行っています。』(研修会ハンドアウトから一部修正引用)
以前、ブログで次のようなことを書きました。
『キャンサーボードっていうと、臓器横断型という表現はしているものの、肺がんキャンサーボードとか胃がんキャンサーボードといった「臓器毎に分けた」多職種スタッフが個別症例の検討会をするイメージが私にはなんとなくあります。(…中略…)
ですが、骨転移ってすべてのがんから発症する可能性がある病状なので、各診療科主治医はもちろんですが、整形外科・リハビリ科・放射線腫瘍科&診断科・緩和科・看護師・薬剤師・ソーシャルワーカーさんなどがそれぞれの立場で意見を出しやすいという点では、臓器横断型という趣旨に比較的合致したキャンサーボードかもしれません。
骨転移へ放射線治療後のリハビリテーションも病状や社会復帰などの目標により多様性に富んだ領域です。
社会復帰を含めた骨転移照射後のリハビリって個人差が大きく、また骨転移患者さんに対するリハビリスケジュールって全国的にもいまだに標準的されていないので、患者さんに骨転移緩和的放射線治療の説明をする時によく悩みます。患者さんのリハビリ方針決定も、骨転移キャンサーボードのほうが症例や専門意見の集約ができて検討会としての実りは大きいかもしれません。』
http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-82.html
私がこれまで勤務した病院で初の多職種がきちんと集まる骨転移カンファレンス(キャンサーボード)、まさにこんな感じです。ちなみに私、複数の大学病院を含め常勤で8施設、非常勤を含めると数十施設で仕事をさせていただきましたが、他のカンファレンスで骨転移症例が提示されたり、少人数で相談することはもちろんこれまでもありました。
放射線腫瘍医は、痛みや神経まひなどを伴う多くの骨転移患者さんに対し症状緩和のための放射線治療を提供する機会が多くあります。がん臨床の先生方も骨転移患者さんを診療することは日常的なことだと思いますが、そんな「身近な」骨転移に対するリハビリテーションというのは、医療者側ですらきちんと把握されていないことが少なくないように感じています。
だんだん回復する他の疾患と違って、骨転移は経時的に回復にも悪化にも変化する(=病状に波がある)ことが少なくなく、また治療の目標は症例によって、いや同じ症例でもその時の状態によって大きく異なります。骨転移で骨折しそうな部分に放射線治療を行ったからといってすぐに骨が固くなるわけではなく、コルセットなどの装具が必要だったり車いすなどで荷重制限を数週間も課さなければならないケースも少なくありません。
生命予後が限られていると予測される方に対し、骨折予防に生活の制限をかけるのはとても辛いことです。もちろん骨折してしまうともっと辛い状況になってしまいますが…。
「もし骨折しても手術すればいい」とおっしゃる頼もしい整形外科の先生もおられますが実際には少なく、がんの病状が進んで手術そのものが困難な場合は少なくありませんし、3~6ヵ月の生命予後が期待されないと手術適応にはならないというのが一般的です。
骨転移のリハビリテーション方針決定にも、がんの縮小予測や生命予後予測は大変重要となります。しかし予測というのは簡単ではなく、ベテラン医師の経験というのも眉唾ものが少なくありません。「余命○○ヶ月の宣告」なんて当たらないことばかりですから、記憶の限り私は言ったことがありません(代わりに報告上の生存中央値をお伝えすることはあります)。
様々ながんの骨転移患者さんが何を望んでいるのかを引き出し、今後起きうる症状やリスクの管理をするには、サポートする医療者がチームとして多職種連携し情報共有することがとても大事です。
骨転移カンファレンス、(施設として余力があれば)お薦めです!

http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-117.html
うちの病院では月に1~2回くらいリハビリテーションを施行中の骨転移患者さんを主に骨転移カンファレンスを開催しています。リハビリ科の理学療法士・作業療法士さんや整形外科・外科・放射線治療科などの医者(いちおう私も)、がん専門看護師さんや緩和ケア対策室の看護師さん、医療ソーシャルワーカーさんなどが一同に会し、『患者さん・ご家族の希望や問題点の共有やリスクの確認(安静度の設定や外固定の必要性)、治療適応(手術や放射線治療など)、ケアの注意点、リハビリテーションの目標、退院調整について、など症例に合わせて様々な検討を行っています。』(研修会ハンドアウトから一部修正引用)
以前、ブログで次のようなことを書きました。
『キャンサーボードっていうと、臓器横断型という表現はしているものの、肺がんキャンサーボードとか胃がんキャンサーボードといった「臓器毎に分けた」多職種スタッフが個別症例の検討会をするイメージが私にはなんとなくあります。(…中略…)
ですが、骨転移ってすべてのがんから発症する可能性がある病状なので、各診療科主治医はもちろんですが、整形外科・リハビリ科・放射線腫瘍科&診断科・緩和科・看護師・薬剤師・ソーシャルワーカーさんなどがそれぞれの立場で意見を出しやすいという点では、臓器横断型という趣旨に比較的合致したキャンサーボードかもしれません。
骨転移へ放射線治療後のリハビリテーションも病状や社会復帰などの目標により多様性に富んだ領域です。
社会復帰を含めた骨転移照射後のリハビリって個人差が大きく、また骨転移患者さんに対するリハビリスケジュールって全国的にもいまだに標準的されていないので、患者さんに骨転移緩和的放射線治療の説明をする時によく悩みます。患者さんのリハビリ方針決定も、骨転移キャンサーボードのほうが症例や専門意見の集約ができて検討会としての実りは大きいかもしれません。』
http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-82.html
私がこれまで勤務した病院で初の多職種がきちんと集まる骨転移カンファレンス(キャンサーボード)、まさにこんな感じです。ちなみに私、複数の大学病院を含め常勤で8施設、非常勤を含めると数十施設で仕事をさせていただきましたが、他のカンファレンスで骨転移症例が提示されたり、少人数で相談することはもちろんこれまでもありました。
放射線腫瘍医は、痛みや神経まひなどを伴う多くの骨転移患者さんに対し症状緩和のための放射線治療を提供する機会が多くあります。がん臨床の先生方も骨転移患者さんを診療することは日常的なことだと思いますが、そんな「身近な」骨転移に対するリハビリテーションというのは、医療者側ですらきちんと把握されていないことが少なくないように感じています。
だんだん回復する他の疾患と違って、骨転移は経時的に回復にも悪化にも変化する(=病状に波がある)ことが少なくなく、また治療の目標は症例によって、いや同じ症例でもその時の状態によって大きく異なります。骨転移で骨折しそうな部分に放射線治療を行ったからといってすぐに骨が固くなるわけではなく、コルセットなどの装具が必要だったり車いすなどで荷重制限を数週間も課さなければならないケースも少なくありません。
生命予後が限られていると予測される方に対し、骨折予防に生活の制限をかけるのはとても辛いことです。もちろん骨折してしまうともっと辛い状況になってしまいますが…。
「もし骨折しても手術すればいい」とおっしゃる頼もしい整形外科の先生もおられますが実際には少なく、がんの病状が進んで手術そのものが困難な場合は少なくありませんし、3~6ヵ月の生命予後が期待されないと手術適応にはならないというのが一般的です。
骨転移のリハビリテーション方針決定にも、がんの縮小予測や生命予後予測は大変重要となります。しかし予測というのは簡単ではなく、ベテラン医師の経験というのも眉唾ものが少なくありません。「余命○○ヶ月の宣告」なんて当たらないことばかりですから、記憶の限り私は言ったことがありません(代わりに報告上の生存中央値をお伝えすることはあります)。
様々ながんの骨転移患者さんが何を望んでいるのかを引き出し、今後起きうる症状やリスクの管理をするには、サポートする医療者がチームとして多職種連携し情報共有することがとても大事です。
骨転移カンファレンス、(施設として余力があれば)お薦めです!

12月12~13日に山口市で第19回日本統合医療学会が開催され、私も学会員なので遠路参加してきました。今年で4度目でした。せっかく山口に行ったので有名だという瓦そばを食べるのも楽しみにしていたのですが、訪れたお店に2件ともふられ(土曜で貸切、日曜なのに定休)がっかりでした。
統合医療…聞き慣れない方も少なくないでしょうから、学会HPに掲載されている紹介文を以下に引用させていただきます。
『疾病を治療し症状を緩和する方法には「対症療法」と「原因療法」があります。 これまで多くの医療機関などで実践されてきた医療は、「対症療法」を中心とした近代西洋医学を根本としてきました。しかし昨今、国際的な医療の趨勢(すうせい)は、単に病だけではなく、人間の心身全体を診る「原因療法」を中心とした伝統医学や相補・代替医療も必要であるという考え方に急速に移行しています。統合医療とは、二つの療法を統合することによって両者の特性を最大限に活かし、一人ひとりの患者に最も適切な『オーダーメイド医療』を提供しようとするものです。
実際に、救命救急や外科手術などの臨床現場では近代西洋医学でしかなしえない治療が施されます。しかし一方で、慢性疾患の治療や予後の療養、さらには近代西洋医学では治療不可能と言われた症状に対して、伝統医学や相補・代替医療の有効性が数多く報告されています。また、超高齢社会が進み行く現代社会においては、治療としての医療だけではなく、疾病予防領域も重要視されており、統合医療への期待度は益々高まると予想されています。
このように、治療と予防医療の両面から対症療法・原因療法を相互発展・連携させていく統合医療の推進が、日本にとっても急務となっております。』
http://imj.or.jp/intro
ざっくり書くと、病院で提供するいわゆる西洋医学だけでなく、漢方薬(これは保険でも認められていますが)や鍼灸といった東洋・中医学、ヨーガ・アーユルヴェーダなどのインド医学を代表とする伝統医学、サプリメントやマッサージといった補完代替医療、などを統合させてより全人的な医療を構築しましょうというのを目指した学会です。
もっとも、この領域は西洋医学のような科学的報告がきちんとなされていない施術も多数あり、似非医学やプラセボ効果と揶揄されることも少なくなく、(ぼったくり)商売とみなされるものもいろいろあります。
とはいえ、現実にはがん患者さんの半数くらいが何らかの保険診療外の医療にも期待しているとの報告もあり、西洋医学者目線だけでそういったものを全否定するのも問題あるように思っています。
また、西洋医学に比べると科学性に乏しいとはいえ、定量化といった方法がまだないために実証されていないものも少なくありません(たぶん)。そこが、心身・金銭面での被害も発生しやすい似非医療との区別がつけにくい部分ではあるわけですが…。
西洋医学も、推論と経験と統計学が中心なので厳密に科学といえるかは疑問ですけど…精神医学とか。
ということで、私は寛容かつ公平な目線(のつもり)でいろいろな情報収集のため数年前から日本統合医療学会にほぼ毎年参加しております。
そして今回の学会もいろいろな立場の方々からご発表がありました。あやしげなのも含まれております。
で、私が参加前に学術大会抄録を眺めて一番関心を引いていたのが、『標準的ではない癌治療の最前線』というシンポジウムにあった『「がんが自然に治る生き方」を探して――治った人々がしていたこと』というジャーナリスト長田美穂さんのご講演抄録でした。
「がんが自然に治る生き方」という書籍は2014年11月に日経プレジデント社から翻訳本が出版され、今もAmazonで売り上げ上位を占めているそうです。米国では原著がベストセラーになったらしく、ご存じの方も多いかと思います。私も(和訳版の)発売と同時に購入し、拝読しておりました。
一般の方々が少なからず読んでいることを踏まえ、臨床の先生方も一度は目を通しておいた方がいい書籍だと私は思います。
この書籍は著者のケリーターナーさんがハーバード大の学生だった時にがんの自発的寛解(原著タイトルはRadical Remission)という現象に関心を持たれ、研究した結果をまとめたものだそうです。
長田さんの学会抄録を以下に一部改変引用させていただきます。
『医師にさじを投げられた患者の中に、10年がかりで1000本の医学論文を読破、世界10か国を旅して患者や治療者100人超へのインタビューを重ねました。そして寛解をとげた人々のほとんどが、次の9つのことを実践していたと明らかにしました。
1.抜本的に食事を変える。2.治療法は自分で決める。3.直感に従う。4.ハーブとサプリメントの力を借りる。5.抑圧された感情を解き放つ。6.より前向きに生きる。7.周囲の人の支えを受け入れる。8.自分の魂と深くつながる。9.「どうしても生きたい理由」を持つ』
実は学会当日のご講演、長田さんの同僚でこの書籍の出版にも関わられた中島愛さんがピンチヒッターとしてご登壇されました。中島さんの冒頭のご説明によると、講演予定だった長田美穂さんは残念ながら今年の10月に病気でお亡くなりになられたとのことでした。
この場をお借りして長田さんのご冥福をお祈り申し上げます。
ケリーターナーさんが指摘されたこの9つの項目はあくまでもアンケート調査から抽出した仮説ではあるものの、そのうち7つが心の持ちように関係した項目であったことには驚きです。医療者関係の項目はありませんね…。
故長田さんの抄録を再び引用すると、『がん患者や彼らに寄りそう人々は、劇的な寛解の減少にはがんの問題を超えた、人間の命、健康の本質を探る鍵が潜んでいるということに気が付き始めているということです。その本質とは、そんな状況おいても人は変わりうる、そしてその変化を後押しするのは「希望」だ、ということです。』
これまで自発的生き方の本質的な部分を変える(≒本来の自分を盛り戻す)ことが大事というのは、どうも奇跡的に(?)自発的寛解を達成されたという方々が口を揃えて強調されています。自発的寛解を自然治癒(力)と表現されている方々もいらっしゃいますが、同義語のようです。
ただ、彼らからの情報をいろいろ読んでみると、生き方の本質的な部分を変えるというのは決して簡単なことではなさそうです。また、私から見ると実は何らかの西洋医学が施されているケースもそれなりにあるようです。
この話題は改めてまた私なりにまとめてみたいと思います。
がんの自発的寛解(自然治癒力)、とても気になっています。
似非ではないような気がします。理論的根拠はありません。

統合医療…聞き慣れない方も少なくないでしょうから、学会HPに掲載されている紹介文を以下に引用させていただきます。
『疾病を治療し症状を緩和する方法には「対症療法」と「原因療法」があります。 これまで多くの医療機関などで実践されてきた医療は、「対症療法」を中心とした近代西洋医学を根本としてきました。しかし昨今、国際的な医療の趨勢(すうせい)は、単に病だけではなく、人間の心身全体を診る「原因療法」を中心とした伝統医学や相補・代替医療も必要であるという考え方に急速に移行しています。統合医療とは、二つの療法を統合することによって両者の特性を最大限に活かし、一人ひとりの患者に最も適切な『オーダーメイド医療』を提供しようとするものです。
実際に、救命救急や外科手術などの臨床現場では近代西洋医学でしかなしえない治療が施されます。しかし一方で、慢性疾患の治療や予後の療養、さらには近代西洋医学では治療不可能と言われた症状に対して、伝統医学や相補・代替医療の有効性が数多く報告されています。また、超高齢社会が進み行く現代社会においては、治療としての医療だけではなく、疾病予防領域も重要視されており、統合医療への期待度は益々高まると予想されています。
このように、治療と予防医療の両面から対症療法・原因療法を相互発展・連携させていく統合医療の推進が、日本にとっても急務となっております。』
http://imj.or.jp/intro
ざっくり書くと、病院で提供するいわゆる西洋医学だけでなく、漢方薬(これは保険でも認められていますが)や鍼灸といった東洋・中医学、ヨーガ・アーユルヴェーダなどのインド医学を代表とする伝統医学、サプリメントやマッサージといった補完代替医療、などを統合させてより全人的な医療を構築しましょうというのを目指した学会です。
もっとも、この領域は西洋医学のような科学的報告がきちんとなされていない施術も多数あり、似非医学やプラセボ効果と揶揄されることも少なくなく、(ぼったくり)商売とみなされるものもいろいろあります。
とはいえ、現実にはがん患者さんの半数くらいが何らかの保険診療外の医療にも期待しているとの報告もあり、西洋医学者目線だけでそういったものを全否定するのも問題あるように思っています。
また、西洋医学に比べると科学性に乏しいとはいえ、定量化といった方法がまだないために実証されていないものも少なくありません(たぶん)。そこが、心身・金銭面での被害も発生しやすい似非医療との区別がつけにくい部分ではあるわけですが…。
西洋医学も、推論と経験と統計学が中心なので厳密に科学といえるかは疑問ですけど…精神医学とか。
ということで、私は寛容かつ公平な目線(のつもり)でいろいろな情報収集のため数年前から日本統合医療学会にほぼ毎年参加しております。
そして今回の学会もいろいろな立場の方々からご発表がありました。あやしげなのも含まれております。
で、私が参加前に学術大会抄録を眺めて一番関心を引いていたのが、『標準的ではない癌治療の最前線』というシンポジウムにあった『「がんが自然に治る生き方」を探して――治った人々がしていたこと』というジャーナリスト長田美穂さんのご講演抄録でした。
「がんが自然に治る生き方」という書籍は2014年11月に日経プレジデント社から翻訳本が出版され、今もAmazonで売り上げ上位を占めているそうです。米国では原著がベストセラーになったらしく、ご存じの方も多いかと思います。私も(和訳版の)発売と同時に購入し、拝読しておりました。
一般の方々が少なからず読んでいることを踏まえ、臨床の先生方も一度は目を通しておいた方がいい書籍だと私は思います。
この書籍は著者のケリーターナーさんがハーバード大の学生だった時にがんの自発的寛解(原著タイトルはRadical Remission)という現象に関心を持たれ、研究した結果をまとめたものだそうです。
長田さんの学会抄録を以下に一部改変引用させていただきます。
『医師にさじを投げられた患者の中に、10年がかりで1000本の医学論文を読破、世界10か国を旅して患者や治療者100人超へのインタビューを重ねました。そして寛解をとげた人々のほとんどが、次の9つのことを実践していたと明らかにしました。
1.抜本的に食事を変える。2.治療法は自分で決める。3.直感に従う。4.ハーブとサプリメントの力を借りる。5.抑圧された感情を解き放つ。6.より前向きに生きる。7.周囲の人の支えを受け入れる。8.自分の魂と深くつながる。9.「どうしても生きたい理由」を持つ』
実は学会当日のご講演、長田さんの同僚でこの書籍の出版にも関わられた中島愛さんがピンチヒッターとしてご登壇されました。中島さんの冒頭のご説明によると、講演予定だった長田美穂さんは残念ながら今年の10月に病気でお亡くなりになられたとのことでした。
この場をお借りして長田さんのご冥福をお祈り申し上げます。
ケリーターナーさんが指摘されたこの9つの項目はあくまでもアンケート調査から抽出した仮説ではあるものの、そのうち7つが心の持ちように関係した項目であったことには驚きです。医療者関係の項目はありませんね…。
故長田さんの抄録を再び引用すると、『がん患者や彼らに寄りそう人々は、劇的な寛解の減少にはがんの問題を超えた、人間の命、健康の本質を探る鍵が潜んでいるということに気が付き始めているということです。その本質とは、そんな状況おいても人は変わりうる、そしてその変化を後押しするのは「希望」だ、ということです。』
これまで自発的生き方の本質的な部分を変える(≒本来の自分を盛り戻す)ことが大事というのは、どうも奇跡的に(?)自発的寛解を達成されたという方々が口を揃えて強調されています。自発的寛解を自然治癒(力)と表現されている方々もいらっしゃいますが、同義語のようです。
ただ、彼らからの情報をいろいろ読んでみると、生き方の本質的な部分を変えるというのは決して簡単なことではなさそうです。また、私から見ると実は何らかの西洋医学が施されているケースもそれなりにあるようです。
この話題は改めてまた私なりにまとめてみたいと思います。
がんの自発的寛解(自然治癒力)、とても気になっています。
似非ではないような気がします。理論的根拠はありません。

先々月(4月24日配信)の現代ビジネスに『名医たちが涙する「忘れられない患者たち」(上)「彼らに僕は大事なことを教わりました」 人気シリーズ「日本が誇るトップドクターが明かす』という記事が掲載されていました。
冒頭を以下に引用いたします。
『どんな医者にも、心に残る患者がいる。治療がうまくいった患者ではない。病と闘い、自らの命と引き換えに大切なことを教えてくれた名もなき患者たち―彼らの生き様が、日本を担う名医を育てた。』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150424-00043008-gendaibiz-bus_all&p=1
その記事を読んだ時に自分のこともブログに残そうと思ったのですが、うっかり先送りしてしまっていました。
実は今日から、学会参加と某施設さん見学を兼ねて九州出張に来ています。大学卒業旅行以来、四半世紀ぶりに訪れた街でした。
ぶらっと散歩していたら、私が研修医をしていた地域に由来したお店の名前が目に入り、以前のことを思い出しました。美味しいものがたくさんある街ですが、明日は朝からいろいろあるので早めにホテルに戻ってこれを書いています。
私にとっても忘れられない患者さんはたくさんいますが、四半世紀前に医者になりたての時に担当させていただいた患者さんたちからは本当にいろいろなことを学ばせていただきました。
内科研修医を始めた月に、不明熱と前胸部痛で入院した地元の料亭のおばあさんを、いきなり一人主治医として担当させていただきました。そういうスタンスの地方病院でした。今なら許容され難いかもしれません。
ちなみに、私は放射線科になる前に3年ほど内科医をしてました。
医学生時代(も?)本当に不勉強だった私の問題もあってなかなか診断がつかないまま、悪性リンパ腫疑いで抗がん剤治療が始まりました。
高齢ということもあり、減量減薬した抗がん剤で半年以上一進一退の末、だんだん病状が悪化してしまいました。コンビニすらない田舎ということもあり医学情報を調べるすべもなかなかなく…そもそも調べ方すらよく知らず…。今の私ならもう少し違った経過をたどったのかもしれません。
もちろん、博学な副院長先生をはじめとする内科の諸先輩方にいろいろ尋ね、週1日お手伝いに来てくださった大学の血液内科の先生方にもご助言いただいてましたが。
見るからに頼りなさそうであったろうペーペー研修医の私に対し「先生に任せるから」と言い続けてくださった肝っ玉おばあさんでした。周りの方々のお話を伺うと堅物頑固で有名だったようですが、私には気さくに話をしてくれました。
「退院したら一緒に食べに行きましょう」と話していましたが、結局叶いませんでした。
私が医者になって初めて患者さんのご自宅でご焼香をさせていただいた方でした。本当は全員にそうすべきなのでしょうが、ごめんなさい。
人の名前をなかなか思い出せない申し訳ない私なのですが、その方の名前(マサさん)は今でもよく覚えています。私は雑誌に掲載されるような名医ではありませんが、マサさんのおかげで今があると思っています。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
そして、当時の私にいろいろ教えてくださった副院長先生も最初に上司だった先生も、最近お亡くなりになってしまいました。
ご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
四半世紀…長かったようなあっという間だったような。

冒頭を以下に引用いたします。
『どんな医者にも、心に残る患者がいる。治療がうまくいった患者ではない。病と闘い、自らの命と引き換えに大切なことを教えてくれた名もなき患者たち―彼らの生き様が、日本を担う名医を育てた。』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150424-00043008-gendaibiz-bus_all&p=1
その記事を読んだ時に自分のこともブログに残そうと思ったのですが、うっかり先送りしてしまっていました。
実は今日から、学会参加と某施設さん見学を兼ねて九州出張に来ています。大学卒業旅行以来、四半世紀ぶりに訪れた街でした。
ぶらっと散歩していたら、私が研修医をしていた地域に由来したお店の名前が目に入り、以前のことを思い出しました。美味しいものがたくさんある街ですが、明日は朝からいろいろあるので早めにホテルに戻ってこれを書いています。
私にとっても忘れられない患者さんはたくさんいますが、四半世紀前に医者になりたての時に担当させていただいた患者さんたちからは本当にいろいろなことを学ばせていただきました。
内科研修医を始めた月に、不明熱と前胸部痛で入院した地元の料亭のおばあさんを、いきなり一人主治医として担当させていただきました。そういうスタンスの地方病院でした。今なら許容され難いかもしれません。
ちなみに、私は放射線科になる前に3年ほど内科医をしてました。
医学生時代(も?)本当に不勉強だった私の問題もあってなかなか診断がつかないまま、悪性リンパ腫疑いで抗がん剤治療が始まりました。
高齢ということもあり、減量減薬した抗がん剤で半年以上一進一退の末、だんだん病状が悪化してしまいました。コンビニすらない田舎ということもあり医学情報を調べるすべもなかなかなく…そもそも調べ方すらよく知らず…。今の私ならもう少し違った経過をたどったのかもしれません。
もちろん、博学な副院長先生をはじめとする内科の諸先輩方にいろいろ尋ね、週1日お手伝いに来てくださった大学の血液内科の先生方にもご助言いただいてましたが。
見るからに頼りなさそうであったろうペーペー研修医の私に対し「先生に任せるから」と言い続けてくださった肝っ玉おばあさんでした。周りの方々のお話を伺うと堅物頑固で有名だったようですが、私には気さくに話をしてくれました。
「退院したら一緒に食べに行きましょう」と話していましたが、結局叶いませんでした。
私が医者になって初めて患者さんのご自宅でご焼香をさせていただいた方でした。本当は全員にそうすべきなのでしょうが、ごめんなさい。
人の名前をなかなか思い出せない申し訳ない私なのですが、その方の名前(マサさん)は今でもよく覚えています。私は雑誌に掲載されるような名医ではありませんが、マサさんのおかげで今があると思っています。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
そして、当時の私にいろいろ教えてくださった副院長先生も最初に上司だった先生も、最近お亡くなりになってしまいました。
ご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
四半世紀…長かったようなあっという間だったような。

エビチリが大好きだった〇さんのその後なのですが、残念ながらうちの科に入院したまま緩和ケア病棟へ転科となってしまいました。
お顔を拝見しようと遊びに…いや、緩和的放射線治療後経過観察のため病室まで(無料)往診しました。
さらにやつれてしまった○さん。(緩和ケア病棟でも食は進んでなかったですし、こちらからは言い出しにくかったのですが)〇さんから口火を切っていただき、すぐにエビチリ話となりました。緩和ケア病棟でもやっぱり食べておられました!
しばしエビチリ歓談後、「〇さん、エビチリの他に食べてみたいものってないですか?」とお尋ねしてみました。
すると〇さん、「☓市立病院の向いにあるお店のラーメン」と即答。
「私、そんなにラーメン屋さんは詳しくなくって、その辺だと△□ってお店しか知らないんですよね~」
〇さん、また満面の笑みで「そう、そこのスーラータンメンが食べたい!」と。
そのラーメン屋さん、地元の人気店でした。翌日のお尻がかなり気になるエンドレスまで辛さいろいろなスーラータンメンが有名で、非常勤支援に来る大学病院の先生方も大ファンが少なくなく、お昼休みなどによく立ち寄っていたようです。
大学病院時代の私の元上司(いわゆる教授)も「△□のスーラータンメンって美味いよな~」とちょくちょくおっしゃっていました。遠く県外でしたが(笑)
〇さんから「先生、退院したら一緒に行きましょう!」とお誘いを受けました(病院からだと30分以上かかるので出前だと麺が延びきっちゃう…)。
「いいですね~。ぜひ行きましょう!」と私もお返事し、(診察するのをすっかり忘れて)その日は退室しました。
入院すると飲食面でもいろいろな制約がありますよね(私が書くのもなんですが)。
気がるに病室へ出前など頼めないし、病院食だって指定されたものが出てくるし。もちろん病状に応じて食べやすい食材が出たり、なるべく希望に合わせた献立に変更したりもするわけですが…。
病院食も、栄養管理上なのかコスト面もあるのか、牛乳が良く出る病院って少なくないような気がします。和食中心の夕飯に牛乳がついてくると、元気な私でも「う~ん…」って気分になります。
どうせなら代わりに小さな缶ビールだとすごく嬉しいのになぁって私なら思います。小さな牛乳パックくらいのビール量なら(普通は)酔ってくだをまくことはまずないでしょうし。
もっとも、私たち医者が検食する場合は、業務中なのでアルコール禁なわけですが。
でも、私が医者になりたてのその昔は、宿直時に医局でビール片手に夕食を食べていた先輩医師もたま~にいました。古き(良き?)時代でした。
大勢の方との「共同生活」だから止むなしの面もあるのですが、ぶっちゃけ晩酌くらいのお酒だって少しくらいならOKじゃないかと個人的には思っています。病気が治って(あるいは落ち着いて)また自宅で飲める方ならまだしも、余命限られた入院生活を余儀なくされた方々にとっては特に。
飲酒に関しては病院内の厳しいローカルルールが立ちはだかります。でも、一部の緩和ケア病棟ではOKらしいって噂を聞くこともあります。病院や病棟によってローカルルールが違うっていうのもなんか変ですが…
以前、医者が入院中の患者さんにお酒を「処方」できるという内容のブログを書いたことがあります。「日本薬局方 ぶどう酒」というものがあるそうです(うちの病院は私が着任する前に削除されてしまいましたが…)。
処方していいくらいだから法的に「入院中は飲酒禁止」というのは無いはずです(たぶん…適度な量なら)。
http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-46.html
少し話が脱線しました。
○さん、エビチリスーラータンメン談話の数日後から腸閉塞を発症し、ずっと絶食状態になってしまいました。緩和的放射線治療でも効果が期待できないそうにない病状でした。その後も徐々に状態が悪化し、残念ながら数週後に帰らぬ人となってしまいました。
スーラータンメンの約束は果たせませんでした。残念です。
この場をお借りして、○さんのお悔やみを申し上げます。
PS:ごく最近のことですが、そのラーメン屋さんも閉店してしまいました。後継者がいなかったそうです。
地元の名店がまた一つ消滅しました。残念です。

お顔を拝見しようと遊びに…いや、緩和的放射線治療後経過観察のため病室まで(無料)往診しました。
さらにやつれてしまった○さん。(緩和ケア病棟でも食は進んでなかったですし、こちらからは言い出しにくかったのですが)〇さんから口火を切っていただき、すぐにエビチリ話となりました。緩和ケア病棟でもやっぱり食べておられました!
しばしエビチリ歓談後、「〇さん、エビチリの他に食べてみたいものってないですか?」とお尋ねしてみました。
すると〇さん、「☓市立病院の向いにあるお店のラーメン」と即答。
「私、そんなにラーメン屋さんは詳しくなくって、その辺だと△□ってお店しか知らないんですよね~」
〇さん、また満面の笑みで「そう、そこのスーラータンメンが食べたい!」と。
そのラーメン屋さん、地元の人気店でした。翌日のお尻がかなり気になるエンドレスまで辛さいろいろなスーラータンメンが有名で、非常勤支援に来る大学病院の先生方も大ファンが少なくなく、お昼休みなどによく立ち寄っていたようです。
大学病院時代の私の元上司(いわゆる教授)も「△□のスーラータンメンって美味いよな~」とちょくちょくおっしゃっていました。遠く県外でしたが(笑)
〇さんから「先生、退院したら一緒に行きましょう!」とお誘いを受けました(病院からだと30分以上かかるので出前だと麺が延びきっちゃう…)。
「いいですね~。ぜひ行きましょう!」と私もお返事し、(診察するのをすっかり忘れて)その日は退室しました。
入院すると飲食面でもいろいろな制約がありますよね(私が書くのもなんですが)。
気がるに病室へ出前など頼めないし、病院食だって指定されたものが出てくるし。もちろん病状に応じて食べやすい食材が出たり、なるべく希望に合わせた献立に変更したりもするわけですが…。
病院食も、栄養管理上なのかコスト面もあるのか、牛乳が良く出る病院って少なくないような気がします。和食中心の夕飯に牛乳がついてくると、元気な私でも「う~ん…」って気分になります。
どうせなら代わりに小さな缶ビールだとすごく嬉しいのになぁって私なら思います。小さな牛乳パックくらいのビール量なら(普通は)酔ってくだをまくことはまずないでしょうし。
もっとも、私たち医者が検食する場合は、業務中なのでアルコール禁なわけですが。
でも、私が医者になりたてのその昔は、宿直時に医局でビール片手に夕食を食べていた先輩医師もたま~にいました。古き(良き?)時代でした。
大勢の方との「共同生活」だから止むなしの面もあるのですが、ぶっちゃけ晩酌くらいのお酒だって少しくらいならOKじゃないかと個人的には思っています。病気が治って(あるいは落ち着いて)また自宅で飲める方ならまだしも、余命限られた入院生活を余儀なくされた方々にとっては特に。
飲酒に関しては病院内の厳しいローカルルールが立ちはだかります。でも、一部の緩和ケア病棟ではOKらしいって噂を聞くこともあります。病院や病棟によってローカルルールが違うっていうのもなんか変ですが…
以前、医者が入院中の患者さんにお酒を「処方」できるという内容のブログを書いたことがあります。「日本薬局方 ぶどう酒」というものがあるそうです(うちの病院は私が着任する前に削除されてしまいましたが…)。
処方していいくらいだから法的に「入院中は飲酒禁止」というのは無いはずです(たぶん…適度な量なら)。
http://mccradonc.blog.fc2.com/blog-entry-46.html
少し話が脱線しました。
○さん、エビチリスーラータンメン談話の数日後から腸閉塞を発症し、ずっと絶食状態になってしまいました。緩和的放射線治療でも効果が期待できないそうにない病状でした。その後も徐々に状態が悪化し、残念ながら数週後に帰らぬ人となってしまいました。
スーラータンメンの約束は果たせませんでした。残念です。
この場をお借りして、○さんのお悔やみを申し上げます。
PS:ごく最近のことですが、そのラーメン屋さんも閉店してしまいました。後継者がいなかったそうです。
地元の名店がまた一つ消滅しました。残念です。

一昨日、うちの病棟の送別会がありました。今回は存在そのものが大きい方々ばかりの異動で現場的には正直痛手なのですが、送別される方々のお話を聞くと皆さん自分の意志で思う所あっての新天地への前向きな異動とのこと。残念ではありますが、気持ちよく送り出せる宴でした。
自分がやりたいことをしに新たな職場へ移れるというのは素敵なことです。「好きこそものの上手なれ」。人は好きなことには時間を忘れ、苦労も苦労と思わないもの。もちろん、慣れた環境を変えるのは、自分の思い描いていたことと異なる部分がいろいろ出てきてストレスや困難を伴うことでしょうが、自己向上や夢実現などにつながる可能性が高くなるでしょうし、一度しかない人生。チャレンジできるなら、やるべきなのでしょう。
他人事ではいけません…
とはいえ、この時世。自分がやってみたい、あるいは行ってみたい他の分野に仕事で異動できるというのはなかなかないことかもしれません。リストラなどで職探しを余儀なくされる方も多くいらっしゃいますし。
お金や場所や業務内容にさほどこだわらなければ、医療分野というのは比較的それが可能な恵まれた業界だと個人的には思います。国家資格さえあれば、同業なら職を失うリスクはまずありません。
今回の異動では、病院から離れて介護施設に行かれる方や別系の看護がしたくて他施設再就職を考えられている方、同じ院内ですが他の診療科の希望が叶った方、などがおられました。
また、私のお知り合いで今年度に限定しても、勤務医から独立開業される先生、今の診療科が自分に向いてないという理由(?)でトラバーユされる先生、病院上層部と方針があわず叩きつけるように辞表を提出されて他の病院へ移籍される先生、医局人事に納得いかず無断退職される先生、などなど。
以前のことですが、私のお知り合いで当時たしか50才を過ぎてから全く別の診療科に移られた先生がいました。もちろんその診療科での経験は乏しく専門医資格もお持ちでいらっしゃらなかったはずですが、公務員であったため役職はそのままで異動ができたそうです。異動時はたしか科長か部長クラスだったはず。
経験値は研修医レベルなのに待遇や給与はそのままで勤務医、さすが公務員の人事異動!とも思った記憶があります。
また、基礎系(実験中心で患者さんを診ていたわけではない)の先生が定年退職されて、老健施設に臨床医として再就職なさった方もいらっしゃいます。もちろん医師免許ですから法的にはなんら問題ないのですが、定年してから臨床医になるというのは少し意外な気分でした。
医療を取り巻く製薬や医療機器業界でも、より良き条件を求めて(?)の異動が頻繁にあるようです。ごく最近までライバルだったはずの会社に電撃移籍された営業の方が今や自社となった放射線治療装置のパンフレットを持って宣伝に来られた時などは、いささか面喰うこともあります。「おや、ついこの前まで別の装置のほうが良いですってプレゼンされていたはずなのに」って。
結構何でもあり。これも「医療の常識、世間の非常識」ってやつに当てはまります?
今回の送別会は、いつも頼れるナースマンが意外に涙腺弱いということを知ったり、某お医者さんたちのいろいろな裏事情を聞かされたりと、話題豊富で個人的には久しぶりに大変おもしろかったです。ブログネタも仕入れましたし、参加して良かった(笑)
ヨリコさん、うちのJOYさんたちといっしょにまた飲みに行きましょう!
自分がやりたいことをしに新たな職場へ移れるというのは素敵なことです。「好きこそものの上手なれ」。人は好きなことには時間を忘れ、苦労も苦労と思わないもの。もちろん、慣れた環境を変えるのは、自分の思い描いていたことと異なる部分がいろいろ出てきてストレスや困難を伴うことでしょうが、自己向上や夢実現などにつながる可能性が高くなるでしょうし、一度しかない人生。チャレンジできるなら、やるべきなのでしょう。
他人事ではいけません…
とはいえ、この時世。自分がやってみたい、あるいは行ってみたい他の分野に仕事で異動できるというのはなかなかないことかもしれません。リストラなどで職探しを余儀なくされる方も多くいらっしゃいますし。
お金や場所や業務内容にさほどこだわらなければ、医療分野というのは比較的それが可能な恵まれた業界だと個人的には思います。国家資格さえあれば、同業なら職を失うリスクはまずありません。
今回の異動では、病院から離れて介護施設に行かれる方や別系の看護がしたくて他施設再就職を考えられている方、同じ院内ですが他の診療科の希望が叶った方、などがおられました。
また、私のお知り合いで今年度に限定しても、勤務医から独立開業される先生、今の診療科が自分に向いてないという理由(?)でトラバーユされる先生、病院上層部と方針があわず叩きつけるように辞表を提出されて他の病院へ移籍される先生、医局人事に納得いかず無断退職される先生、などなど。
以前のことですが、私のお知り合いで当時たしか50才を過ぎてから全く別の診療科に移られた先生がいました。もちろんその診療科での経験は乏しく専門医資格もお持ちでいらっしゃらなかったはずですが、公務員であったため役職はそのままで異動ができたそうです。異動時はたしか科長か部長クラスだったはず。
経験値は研修医レベルなのに待遇や給与はそのままで勤務医、さすが公務員の人事異動!とも思った記憶があります。
また、基礎系(実験中心で患者さんを診ていたわけではない)の先生が定年退職されて、老健施設に臨床医として再就職なさった方もいらっしゃいます。もちろん医師免許ですから法的にはなんら問題ないのですが、定年してから臨床医になるというのは少し意外な気分でした。
医療を取り巻く製薬や医療機器業界でも、より良き条件を求めて(?)の異動が頻繁にあるようです。ごく最近までライバルだったはずの会社に電撃移籍された営業の方が今や自社となった放射線治療装置のパンフレットを持って宣伝に来られた時などは、いささか面喰うこともあります。「おや、ついこの前まで別の装置のほうが良いですってプレゼンされていたはずなのに」って。
結構何でもあり。これも「医療の常識、世間の非常識」ってやつに当てはまります?
今回の送別会は、いつも頼れるナースマンが意外に涙腺弱いということを知ったり、某お医者さんたちのいろいろな裏事情を聞かされたりと、話題豊富で個人的には久しぶりに大変おもしろかったです。ブログネタも仕入れましたし、参加して良かった(笑)
ヨリコさん、うちのJOYさんたちといっしょにまた飲みに行きましょう!
今日午後、担がんで在宅療養中の利用者さんに対する緩和照射適否のお問い合わせで、在宅緩和ケアをご専門にされている近隣の医院の先生方がわざわざうちの外来まで直接足を運んでくださいました。
他院からの放射線治療依頼では、依頼元の先生の紹介状を持って患者さんあるいはご家族が外来受診されるケースがほとんどです。
うちのシステム上、地域医療連携室(という他院からの診察予約受付窓口的部署)を通してFAX受診予約をして、当日受診いただく形が基本となっています。よくご紹介いただく他院の先生方にはなるべく紹介状を事前にいただけるよう打診させていただいてはいるのですが、ご依頼元の諸事情でこちらの希望通りにならないことも時にあり。
初診時に紹介状を見て診察というのは、放射線治療を標榜している診療科とはいえどもなかなか大変です。めったに経験しない病気の場合は特に事前調査(過去の報告確認とか)をしないといけませんし、安易なご説明もできません。
「〇×癌です。照射よろしく」的な簡潔紹介状だけで遠方から受診される方も時にあります。
もちろん不明点があった場合などは私たちも適宜お電話でご依頼内容の確認はいたします。しかし、その日に担当医がご不在の場合は、患者さんに対してこちら側の放射線治療方針の説明すらできず、後日再受診とせざるを得ないこともあります。患者さんのせいではないのですが、二度手間をおかけし…
今日の午前中にもそんな感じのケースがあったようでした(私は病棟担当で詳細は不明でしたが)。
きちんとした紹介状であっても、限られた文字数の書類だけではなかなかつかみきれない病状や双方の方針というものがあり、やっぱり直接面と向かって相談したほうが有意義な方針検討ができる気がします。普通に電話対応でも悪くはないのですが、がんの診療は音声だけでは物足りないところも少なからずあり。
先生が直接患者さんとご訪問いただくというのは現実問題としてほぼ困難です。なので、うちにも他施設の医療者間のネットカンファレンスが気軽にできる環境があるともっと便利なんだけどな~と前から思ったりもしてました。コンピュータが得意な先生方と既存のPCを使っての(安上がりな)システム構築は技術的には今でも可能。でも、思うだけではだめですね。できる範囲でまずは行動を、と(やっぱり)思うこの頃です。
実は先日、ある大学の先生からそんなネットワーク構築に関連した具体的な打診がありました。まだ、お話だけの段階なのですが、いずれ良き形に具体化したら呟こうかな…
まあぶっちゃけ、お互いの顔が見えないほうがちょっと幸せな時もありますが。
表現が丁寧(≒大人)とは自分の口からお世辞にも言えない私としては特に…すみません
話を戻しますが、同じ市内とはいえ医院の先生方はさすが在宅ご専門の先生方のフットワーク!本日はいろいろなお話を伺うことができ、ありがとうございました。
在宅療養されているがん患者さんに、生活の質を改善する心身ともに負担のかからない緩和照射がご提供できるような環境整備も今の私の職場でめざす診療体制の一つです。言う(書く)は易しですが…
今年初、久しぶりの投稿になりました…もっと気楽に(無責任という意味でなく)続けていこうとは思っております。
他院からの放射線治療依頼では、依頼元の先生の紹介状を持って患者さんあるいはご家族が外来受診されるケースがほとんどです。
うちのシステム上、地域医療連携室(という他院からの診察予約受付窓口的部署)を通してFAX受診予約をして、当日受診いただく形が基本となっています。よくご紹介いただく他院の先生方にはなるべく紹介状を事前にいただけるよう打診させていただいてはいるのですが、ご依頼元の諸事情でこちらの希望通りにならないことも時にあり。
初診時に紹介状を見て診察というのは、放射線治療を標榜している診療科とはいえどもなかなか大変です。めったに経験しない病気の場合は特に事前調査(過去の報告確認とか)をしないといけませんし、安易なご説明もできません。
「〇×癌です。照射よろしく」的な簡潔紹介状だけで遠方から受診される方も時にあります。
もちろん不明点があった場合などは私たちも適宜お電話でご依頼内容の確認はいたします。しかし、その日に担当医がご不在の場合は、患者さんに対してこちら側の放射線治療方針の説明すらできず、後日再受診とせざるを得ないこともあります。患者さんのせいではないのですが、二度手間をおかけし…
今日の午前中にもそんな感じのケースがあったようでした(私は病棟担当で詳細は不明でしたが)。
きちんとした紹介状であっても、限られた文字数の書類だけではなかなかつかみきれない病状や双方の方針というものがあり、やっぱり直接面と向かって相談したほうが有意義な方針検討ができる気がします。普通に電話対応でも悪くはないのですが、がんの診療は音声だけでは物足りないところも少なからずあり。
先生が直接患者さんとご訪問いただくというのは現実問題としてほぼ困難です。なので、うちにも他施設の医療者間のネットカンファレンスが気軽にできる環境があるともっと便利なんだけどな~と前から思ったりもしてました。コンピュータが得意な先生方と既存のPCを使っての(安上がりな)システム構築は技術的には今でも可能。でも、思うだけではだめですね。できる範囲でまずは行動を、と(やっぱり)思うこの頃です。
実は先日、ある大学の先生からそんなネットワーク構築に関連した具体的な打診がありました。まだ、お話だけの段階なのですが、いずれ良き形に具体化したら呟こうかな…
まあぶっちゃけ、お互いの顔が見えないほうがちょっと幸せな時もありますが。
表現が丁寧(≒大人)とは自分の口からお世辞にも言えない私としては特に…すみません
話を戻しますが、同じ市内とはいえ医院の先生方はさすが在宅ご専門の先生方のフットワーク!本日はいろいろなお話を伺うことができ、ありがとうございました。
在宅療養されているがん患者さんに、生活の質を改善する心身ともに負担のかからない緩和照射がご提供できるような環境整備も今の私の職場でめざす診療体制の一つです。言う(書く)は易しですが…
今年初、久しぶりの投稿になりました…もっと気楽に(無責任という意味でなく)続けていこうとは思っております。
以前のことですが、いつものように某診療科から患者さんの放射線治療依頼がありました。治療依頼書を読むと、最後に「性格が…」との付記が。カルテを拝見すると、他科受診で某先生の手紙にも「30分かけてご説明しましたが治療のご承諾を得られませんでした」との記載が。
既往歴として糖尿病や心臓病などいろいろな成人病をお持ちの男性患者さんで、紹介状やカルテだけ見ると放射線治療の説明にもいささか苦戦しそうな雰囲気を感じました。
そんな先入観の中、(さて、時間をかけて慎重に!)と心の中で少し気合いを入れ患者さんを診察室にお呼びすると、ご夫婦で入室。患者さんはややラフな格好でしたが、パッと見はそれなりでどことなくマイペースっぽい雰囲気。そして付き添いの奥様はしゃきっとした感じの方でした。
(この方、もしかして。。。?)
あいさつの後、放射線治療の説明を始めると、奥様が丁寧にメモを取る一方で患者さんはやや集中にかけるような印象でした。数分後、説明の途中でやや飽きた感じの患者さんからぶっきらぼうに「先生に任せるから!」と。
これ以上説明が長すぎると逆効果になりそうだったので、そこからは少し足早に。
説明後、「お仕事は何をなさっていらっしゃったのですか?」とお尋ねしてみると、「以前、中小企業の社長をしていた」と。
(やっぱりそうでしたか!)と私の心の中。
そのまま少し脱線して「社長さんって夜のお付き合いとか大変ですよね?毎晩のようにパーティーやら会合やら飲食生活がかなり乱れているって聞きますしね。」と話すと、ニヤッと笑い「そうなんだよね~」と患者さん。奥様も少し和やかな面持ちになり「身体には気をつけてもらいたかったのに、本当に困ってたんです。やっぱりいろいろな病気になるし」と。
その後、今回の病状説明とはあまり関係ない食生活と成人病談義がしばし続きました。
私の同級生や近い世代の社長さんや専務さん、あるいは講演会などでご年配の(元)管理職の方々と直接お話を伺う機会がたまにあります。また最近ではfacebookなどで、いろいろな管理職の方々の日常生活を垣間見ることができるようにもなりました。
そこでよく感じるのは、(知る限りですが)多くの方が週何回もお食事付きの会合に参加し、想像以上に飲食生活が不規則かつ暴飲暴食(気味)ということ。
そして宴会場の写真や豪華絢爛なお食事やお酒の写真の数々がネットなどに掲載されているのを眺めると「美味しそうだな」「うらやましいな」と思う反面、「この生活を続けると身体にはきっと悪いよな」と感じることも多いです。みなさんお仕事柄、やむなく宴会が定例化しているようなのですが。
この社長さんも、やはりそんな生活をずっと続け当然のようにいろいろな成人病にかかってしまった方のようでした。
私の知る限り、医者も似たような生活をしている方が少なくありません。院長とか教授とか地位の高い先生方は特に。医者の不養生はいまだその通りかもしれません。お酒が入るとつい調子に乗りがちな私も気をつけないと…
で、私の印象で恐縮なのですが、社長さんに放射線治療を行うと粘膜炎など治療中の副作用が通常の方より強めに出ることが少なくない気がしています。(喫煙を含めた)普段の暴飲暴食生活で粘膜修復機能が相当低下しているんじゃないかって勝手に勘繰っています。
全く根拠ないコメントなので、これ以上は深入り発言しないでおきます。
社長さんの外来診察の話に戻ります。
食生活と成人病談義で双方に少し心の余裕ができた感じだったので、最後にもう少し主目的の放射線治療の説明を補足しました。そして最後に「では、治療に関してはある程度我々にお任せいただきます」と締めて、奥様を含めて放射線治療の文書同意をいただきました。
放射線治療中の食生活にも気をつけるよう指導をしました(特に看護師さんがきちんと)。
全てがそうというわけではもちろんないのですが、私がこれまで診療に関わらせていただいた中小企業の社長さんと奥様ってどこか似た雰囲気があります。言い方は悪いのですが、ちょっとやんちゃで頑固でわがままなおじ(い)ちゃんと、旦那をほどほどに泳がせながら肝心な所は見えない手綱をしっかり引いている奥様。
説明や診察の時も、奥様につい気を配ってしまいます…
既往歴として糖尿病や心臓病などいろいろな成人病をお持ちの男性患者さんで、紹介状やカルテだけ見ると放射線治療の説明にもいささか苦戦しそうな雰囲気を感じました。
そんな先入観の中、(さて、時間をかけて慎重に!)と心の中で少し気合いを入れ患者さんを診察室にお呼びすると、ご夫婦で入室。患者さんはややラフな格好でしたが、パッと見はそれなりでどことなくマイペースっぽい雰囲気。そして付き添いの奥様はしゃきっとした感じの方でした。
(この方、もしかして。。。?)
あいさつの後、放射線治療の説明を始めると、奥様が丁寧にメモを取る一方で患者さんはやや集中にかけるような印象でした。数分後、説明の途中でやや飽きた感じの患者さんからぶっきらぼうに「先生に任せるから!」と。
これ以上説明が長すぎると逆効果になりそうだったので、そこからは少し足早に。
説明後、「お仕事は何をなさっていらっしゃったのですか?」とお尋ねしてみると、「以前、中小企業の社長をしていた」と。
(やっぱりそうでしたか!)と私の心の中。
そのまま少し脱線して「社長さんって夜のお付き合いとか大変ですよね?毎晩のようにパーティーやら会合やら飲食生活がかなり乱れているって聞きますしね。」と話すと、ニヤッと笑い「そうなんだよね~」と患者さん。奥様も少し和やかな面持ちになり「身体には気をつけてもらいたかったのに、本当に困ってたんです。やっぱりいろいろな病気になるし」と。
その後、今回の病状説明とはあまり関係ない食生活と成人病談義がしばし続きました。
私の同級生や近い世代の社長さんや専務さん、あるいは講演会などでご年配の(元)管理職の方々と直接お話を伺う機会がたまにあります。また最近ではfacebookなどで、いろいろな管理職の方々の日常生活を垣間見ることができるようにもなりました。
そこでよく感じるのは、(知る限りですが)多くの方が週何回もお食事付きの会合に参加し、想像以上に飲食生活が不規則かつ暴飲暴食(気味)ということ。
そして宴会場の写真や豪華絢爛なお食事やお酒の写真の数々がネットなどに掲載されているのを眺めると「美味しそうだな」「うらやましいな」と思う反面、「この生活を続けると身体にはきっと悪いよな」と感じることも多いです。みなさんお仕事柄、やむなく宴会が定例化しているようなのですが。
この社長さんも、やはりそんな生活をずっと続け当然のようにいろいろな成人病にかかってしまった方のようでした。
私の知る限り、医者も似たような生活をしている方が少なくありません。院長とか教授とか地位の高い先生方は特に。医者の不養生はいまだその通りかもしれません。お酒が入るとつい調子に乗りがちな私も気をつけないと…
で、私の印象で恐縮なのですが、社長さんに放射線治療を行うと粘膜炎など治療中の副作用が通常の方より強めに出ることが少なくない気がしています。(喫煙を含めた)普段の暴飲暴食生活で粘膜修復機能が相当低下しているんじゃないかって勝手に勘繰っています。
全く根拠ないコメントなので、これ以上は深入り発言しないでおきます。
社長さんの外来診察の話に戻ります。
食生活と成人病談義で双方に少し心の余裕ができた感じだったので、最後にもう少し主目的の放射線治療の説明を補足しました。そして最後に「では、治療に関してはある程度我々にお任せいただきます」と締めて、奥様を含めて放射線治療の文書同意をいただきました。
放射線治療中の食生活にも気をつけるよう指導をしました(特に看護師さんがきちんと)。
全てがそうというわけではもちろんないのですが、私がこれまで診療に関わらせていただいた中小企業の社長さんと奥様ってどこか似た雰囲気があります。言い方は悪いのですが、ちょっとやんちゃで頑固でわがままなおじ(い)ちゃんと、旦那をほどほどに泳がせながら肝心な所は見えない手綱をしっかり引いている奥様。
説明や診察の時も、奥様につい気を配ってしまいます…
無知暴露で恥ずかしい限りですが、医者が病院に入院中の患者さんにお酒を「処方」できるということを最近知りました。「日本薬局方 ぶどう酒」というものがあるそうです。
うちの病院でも数年前まで処方できたそうなのですが、残念ながら現在は削除されていました。薬局の方によると「院外処方はできます」と…。
院外なら普通にお店で酒買えるしなぁ。
このぶどう酒、1回60ml処方だから食前酒程度です。正直、ちょっと物足りないかも(でも1日最大限度量の記載はなし?)。甘味料や合成着色料を添加していないぶどう酒らしいので、身体には良いのかな?
あと効能書には『小児等に対する安全性は確立していないので投与しないこと。アルコールにより副作用等を起こすおそれがある。』とも書いてました。これはそもそも法律違反…。
以前からなのですが、病棟でも晩酌代わりに小さな缶ビール1本くらい飲んでもいいじゃないかって思ってました。自分が入院してもできれば飲みたいし。よく出てくるミニパック牛乳の代わりにでも。
なんで一般病室ではだめなんでしょうね。私の確認不足だけかもしれないですが、集団生活の風紀上の問題だからなのか、何らかの規定があるのか、ただ病院側の管理上の要望なのか?
緩和ケア病棟なんかでは少しは許容してるって噂も聞いたことあるけど…。
古き良き時代、私が勤務した某田舎の病院で、御用納めの時に患者さんたちやスタッフと病棟で(もちろん軽くですが)酒盛りをしたことがあります。一升瓶を持って各病棟ナースステーションを渡り歩いたりもしました。正直、あれは楽しかったです。
今なら完全に新聞沙汰ですね。
病棟の冷蔵庫に牛乳パックに日本酒を入れ替えて隠れて飲んでいたという強者もいました。この患者さん、夜になるとどうも酒臭い。でもベッド周囲には酒は見当たらないし、外出している気配もない。で、看護師さんたちが行動チェックして、こそこそ冷蔵庫に移動して飲んでいる所を御用となりました。
あ、これは絶対に真似しないでください。強制退院させられる恐れがあります。
「日本薬局方 ぶどう酒」ってネット販売もされているようです。これを自分で購入しても、医師の処方ではないから入院中に服用はやっぱりダメなんでしょうね。
普通のお酒と同じですからね~、病院の規定で。
うちの病院でも数年前まで処方できたそうなのですが、残念ながら現在は削除されていました。薬局の方によると「院外処方はできます」と…。
院外なら普通にお店で酒買えるしなぁ。
このぶどう酒、1回60ml処方だから食前酒程度です。正直、ちょっと物足りないかも(でも1日最大限度量の記載はなし?)。甘味料や合成着色料を添加していないぶどう酒らしいので、身体には良いのかな?
あと効能書には『小児等に対する安全性は確立していないので投与しないこと。アルコールにより副作用等を起こすおそれがある。』とも書いてました。これはそもそも法律違反…。
以前からなのですが、病棟でも晩酌代わりに小さな缶ビール1本くらい飲んでもいいじゃないかって思ってました。自分が入院してもできれば飲みたいし。よく出てくるミニパック牛乳の代わりにでも。
なんで一般病室ではだめなんでしょうね。私の確認不足だけかもしれないですが、集団生活の風紀上の問題だからなのか、何らかの規定があるのか、ただ病院側の管理上の要望なのか?
緩和ケア病棟なんかでは少しは許容してるって噂も聞いたことあるけど…。
古き良き時代、私が勤務した某田舎の病院で、御用納めの時に患者さんたちやスタッフと病棟で(もちろん軽くですが)酒盛りをしたことがあります。一升瓶を持って各病棟ナースステーションを渡り歩いたりもしました。正直、あれは楽しかったです。
今なら完全に新聞沙汰ですね。
病棟の冷蔵庫に牛乳パックに日本酒を入れ替えて隠れて飲んでいたという強者もいました。この患者さん、夜になるとどうも酒臭い。でもベッド周囲には酒は見当たらないし、外出している気配もない。で、看護師さんたちが行動チェックして、こそこそ冷蔵庫に移動して飲んでいる所を御用となりました。
あ、これは絶対に真似しないでください。強制退院させられる恐れがあります。
「日本薬局方 ぶどう酒」ってネット販売もされているようです。これを自分で購入しても、医師の処方ではないから入院中に服用はやっぱりダメなんでしょうね。
普通のお酒と同じですからね~、病院の規定で。
『小さなミスをおかす人には、大切な仕事は任せられません。
失敗は誰にでもありますが、ミスは【緊張感と責任感】が強くない証拠であります(ちなみに経営者にとっての失敗は、成功のもとではなく倒産のもと)。上司への報告・連絡・相談【報連相】のコミュニケーション不足をはじめ、取引先との電話やメール、資料のやりとり等で、ミスをおかす人は信頼できません。
なぜなら【小さなミスをおかす人は必ず大きなミスをおかしてしまう】からです。
仕事とは【目の前のモノをピカピカに磨きあげること】課題を後回しにせず敏速におこなうこと。一切の【…まぁいいか】や【たぶん…だろう】を排除すること。指示されたことだけをやるのではなく、常に【ベストとは何か!?】を追求し、必要であればこれまでの概念は捨てさること。
そうしたこだわり【情熱+繊細さ】を持つ人こそが、ミスを無くし大いなる成果をあげる。まさに僕が求める、プロフェッショナルの人財像であります。』
******************************
上記『』内の文章は、株式会社ネクシィーズ 代表取締役社長の近藤太香巳氏が昨年9月に投稿されたFacebook記事です(無断引用、おわび申し上げます)。さすが(2004年当時)最年少で東証一部上場の大企業を創業された方だけあり、最後のプロフェッショナル像の記載などはまさしく正論だと思います。
言葉の定義ですが、ミス⇒不注意や努力不足による過失・過誤、失敗⇒結果として上手くいかなかったこと、でしょうか?
ただ、最初の一文が少し引っかかりました。
大切な仕事は「全て」任せられない、という意味なのか?
「何が」大切な仕事なのか?も。
医療現場は人命にかかわるだけに大切な仕事でのミスが許されないのですが、(特に田舎の病院など)限られた人的資源下では、今いる人財を活用する、また教育するために「ある程度」任せることも必要になります。正直、無い袖振れません。丸投げするのではなく教育・指導を行った上で、周りのバックアップ下で「ある程度」任せ、それでも同じようなミスを繰り返すのであれば、その人に「全ては」任せられないという結論に達するのはやむを得ない部分もありましょう。
そもそも業務を一人に任せること自体がよろしくないわけですけれど…。とはいえ、そうせざるを得ない診療科はうちを含めて残念ながら実際に少なからずあります。ちなみに、日本の放射線治療分野には「一人医長の会」という(その病院の診療科にたった一人の放射線腫瘍医しかいない人たちの)グループも存在します。
大企業のように配置換えもしくは(免許取り消し含め)首を切るということが簡単にしにくい(これもおかしいといえばおかしい)今の医療現場としては、ただ単に「任せられない」の一言では片付けられない部分が正直あるように思います。
企業と同様に多くのまともな医療現場では、人為的ミスを極力減らさんと様々な「ダブルチェック体制の整備」や「リスクマネージメント」などを積極的に導入・運用しているわけですが(ISOを取得する施設もあり)、それでもミスの完全防止は難しい所があります。電子カルテをはじめとする医療IT化もまだまだ成熟しているとは言えませんし、一部では未だに業務の煩雑化・不安定化を招いていかざるをえないというのが現状だと思います。
「任せられない」などと偉そうに言わないような指導者の力量も大切な部分なのでしょう。山本五十六の名言に『やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。』というものがあります。
これは正直、私にとっていまだ簡単なことではありません。指導者もいろいろと成長しなければいけないと思いつつ、意識ベクトルの向きが違う方に対しては特に…。まあ、相手の顔色を見ながらただ甘やかせばいいのかというと、そうではないと思うのですよね。特に人の命をお預かりし、そこそこのお金をいただいている職種なのですから…。
少し話がそれました。この辺については後日改めて「何となく」思ったことを書き綴ろうと思っています。
若くしてここまで立ち上げてこられた社長さんのご投稿です。「任せられない」という表現もきっと組織としてやるべきことをしたうえで、という意味でしょうし、実際にしっかりした厳しい指導および管理体制はとられていることとは思いますが。
最後に、心広いであろう近藤様へお詫びとお願い(すでにFacebookで「いいね!」をいただいてはおりますが)。以上は田舎の一医者の思いつき好き勝手フィードということで、どうぞご容赦くださいませ。
失敗は誰にでもありますが、ミスは【緊張感と責任感】が強くない証拠であります(ちなみに経営者にとっての失敗は、成功のもとではなく倒産のもと)。上司への報告・連絡・相談【報連相】のコミュニケーション不足をはじめ、取引先との電話やメール、資料のやりとり等で、ミスをおかす人は信頼できません。
なぜなら【小さなミスをおかす人は必ず大きなミスをおかしてしまう】からです。
仕事とは【目の前のモノをピカピカに磨きあげること】課題を後回しにせず敏速におこなうこと。一切の【…まぁいいか】や【たぶん…だろう】を排除すること。指示されたことだけをやるのではなく、常に【ベストとは何か!?】を追求し、必要であればこれまでの概念は捨てさること。
そうしたこだわり【情熱+繊細さ】を持つ人こそが、ミスを無くし大いなる成果をあげる。まさに僕が求める、プロフェッショナルの人財像であります。』
******************************
上記『』内の文章は、株式会社ネクシィーズ 代表取締役社長の近藤太香巳氏が昨年9月に投稿されたFacebook記事です(無断引用、おわび申し上げます)。さすが(2004年当時)最年少で東証一部上場の大企業を創業された方だけあり、最後のプロフェッショナル像の記載などはまさしく正論だと思います。
言葉の定義ですが、ミス⇒不注意や努力不足による過失・過誤、失敗⇒結果として上手くいかなかったこと、でしょうか?
ただ、最初の一文が少し引っかかりました。
大切な仕事は「全て」任せられない、という意味なのか?
「何が」大切な仕事なのか?も。
医療現場は人命にかかわるだけに大切な仕事でのミスが許されないのですが、(特に田舎の病院など)限られた人的資源下では、今いる人財を活用する、また教育するために「ある程度」任せることも必要になります。正直、無い袖振れません。丸投げするのではなく教育・指導を行った上で、周りのバックアップ下で「ある程度」任せ、それでも同じようなミスを繰り返すのであれば、その人に「全ては」任せられないという結論に達するのはやむを得ない部分もありましょう。
そもそも業務を一人に任せること自体がよろしくないわけですけれど…。とはいえ、そうせざるを得ない診療科はうちを含めて残念ながら実際に少なからずあります。ちなみに、日本の放射線治療分野には「一人医長の会」という(その病院の診療科にたった一人の放射線腫瘍医しかいない人たちの)グループも存在します。
大企業のように配置換えもしくは(免許取り消し含め)首を切るということが簡単にしにくい(これもおかしいといえばおかしい)今の医療現場としては、ただ単に「任せられない」の一言では片付けられない部分が正直あるように思います。
企業と同様に多くのまともな医療現場では、人為的ミスを極力減らさんと様々な「ダブルチェック体制の整備」や「リスクマネージメント」などを積極的に導入・運用しているわけですが(ISOを取得する施設もあり)、それでもミスの完全防止は難しい所があります。電子カルテをはじめとする医療IT化もまだまだ成熟しているとは言えませんし、一部では未だに業務の煩雑化・不安定化を招いていかざるをえないというのが現状だと思います。
「任せられない」などと偉そうに言わないような指導者の力量も大切な部分なのでしょう。山本五十六の名言に『やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。』というものがあります。
これは正直、私にとっていまだ簡単なことではありません。指導者もいろいろと成長しなければいけないと思いつつ、意識ベクトルの向きが違う方に対しては特に…。まあ、相手の顔色を見ながらただ甘やかせばいいのかというと、そうではないと思うのですよね。特に人の命をお預かりし、そこそこのお金をいただいている職種なのですから…。
少し話がそれました。この辺については後日改めて「何となく」思ったことを書き綴ろうと思っています。
若くしてここまで立ち上げてこられた社長さんのご投稿です。「任せられない」という表現もきっと組織としてやるべきことをしたうえで、という意味でしょうし、実際にしっかりした厳しい指導および管理体制はとられていることとは思いますが。
最後に、心広いであろう近藤様へお詫びとお願い(すでにFacebookで「いいね!」をいただいてはおりますが)。以上は田舎の一医者の思いつき好き勝手フィードということで、どうぞご容赦くださいませ。