広辞苑によると「緩和」とは「ゆるめやわらげること」だそうです。
先々月のブログでは姑息(照射)という言葉について私なりの問題提起をさせていただきましたが、このポスター発表は緩和という言葉について本研究会発足メンバー目線からの問題提起をなさっていました。
再び抄録およびポスター発表の一部を『 』内に引用させていただきます。
『日本語としての緩和という言葉から、ごく一般的な日本人は「末期」や「死」あるいは「がん」などの意味を即座に連想するでしょうか?
1977年の死の臨床研究会発足時は、当時のひたすら延命を目的とした末期の医療のあり方に疑問を感じていた患者自身や家族(遺族を含めて)、そして医療以外からも多くが期待を持って参加した(→「死の臨床」第1世代と表現)。本会は「死」を取り戻させ、世論を喚起し、宗教関係者など似も多大な影響を与えた。
本会の80年代後半から90年代には、医療者だけでなく宗教関係者、社会福祉関係者など多様な専門領域からの発表があり、「死の臨床」第2世代ともいえる存在であった。
2006年に「がん対策基本法」が制定され、一挙に「緩和ケア」という言葉が常用されるようになった。(中略)この現在に至る「緩和ケア」一辺倒時代の特徴として、かつて第1世代が抗したはずの医療者主導の論理が頭をもたげ、本会が問うていたはずの「死」の問題を、希薄化させているといえないだろうか。』
昨今、早期からのがん緩和ケアが謳われ、関連学会や行政などもその普及啓蒙に力を入れています。それはそれで大事なことだと思います。痛み止めも緩和照射も患者さんの苦痛を減らすのにはまだまだ不十分なようですし。
ただ、心身の症状「緩和ケア」いう名のもと、医療による(≒医療者が仕切る)患者管理状態にはまってきてはいないだろうか?という漠然とした疑念も、ここ数年は私なりにおぼろげながら感じていたところでした。新進気鋭の緩和系の先生方のご発表や著書を拝見するたび、何故かますます…
そんな中、このご発表は本研究会初参加だった私の疑問点を明確に指摘し、また日本死の臨床研究会の歴史・経緯についてもわかりやすく解説していただき、個人的には大変貴重な情報が得られました。やっぱり医療系の発表が目立ってきていたのですね。
『ターミナルケアや死の臨床という言葉には、「死」および「死後」をも視野に入れた看取りを中心とした問題だったはずなのに、看護学テキストも緩和ケアに言葉を変えてからは死後看護も死後の世界観も、ましてや宗教ごとなども記載が消えた』ともありました。
昨年、惜しまれつつがんで逝去された在宅医療の第1人者岡部健先生は、以前ご講演で次のように語られておられました(以下、私なりの要約です)。
『日本では戦後、病院で亡くなる方が多くなり、見取りに慣れていない家族が多くなった。また病院、医療の現場は合理性を優先しているが、人の死は合理的なものではない。スピリチュアルケアもキリスト教主体の欧米の真似をしているだけで、日本の個々の死生観、宗教的価値観を考慮する部分に乏しい。その結果、見取りの場でのひずみが大きく生じてきている。死の受容は宗教にすがらないとなかなか耐えきれない部分がある。また宗教者は祈りをささげることで自然の力にアースできるが、日本の医療者は患者の訴えを自分で抱え込みアースできずに燃え尽きることがある。欧米では医療者もチャプレンに吐き出すことができ、日本にもそういったはけ口を作る必要がある。スピリチュアルケアは医療者だけでの対応には無理があるが、日本の医療現場では宗教性を排除しすぎた。』
スタッフ教育を含めた今の医療現場には、もっと宗教を、そして死を「身近」に感じられる環境が整備されるべきなのでしょう。
う~ん、特に死生学や宗教に関しては知識不足な私の下手なコメントが書きずらい…これは今回、引用(ばかりですが、それ)だけで止めさせていただくことにします。
正直、一人ではとても全部見きれない第8会場まで欲張らずに、「死」「お看取り」に特化した演題にもっと限定しても良いように感じました。いわゆる「緩和医療」に関する演題は、きっと本来発表すべき場の日本緩和医療学会のほうに出していただいて。
とまあ、書いてはみたものの、実際問題あちらの学会も年々演題数が増加の一途をたどっているようで、抄録集がどんどん分厚くなり重くて持ち運びにくくなるくらい演題数や参加者が増えてきているようですけれど。抄録は紙媒体ではなく電子ファイルとすればいいのでしょうが、それでは私を含めた年配参加者がきっと困ることでしょう…。そして演題エントリーが多すぎて採択されなくなってしまうのは困るのも確かです。勝手ですね。
以上、研究会初参加者のなんとなく印象記でした。
PS:もちろん他の演題も聞いてきました。
先々月のブログでは姑息(照射)という言葉について私なりの問題提起をさせていただきましたが、このポスター発表は緩和という言葉について本研究会発足メンバー目線からの問題提起をなさっていました。
再び抄録およびポスター発表の一部を『 』内に引用させていただきます。
『日本語としての緩和という言葉から、ごく一般的な日本人は「末期」や「死」あるいは「がん」などの意味を即座に連想するでしょうか?
1977年の死の臨床研究会発足時は、当時のひたすら延命を目的とした末期の医療のあり方に疑問を感じていた患者自身や家族(遺族を含めて)、そして医療以外からも多くが期待を持って参加した(→「死の臨床」第1世代と表現)。本会は「死」を取り戻させ、世論を喚起し、宗教関係者など似も多大な影響を与えた。
本会の80年代後半から90年代には、医療者だけでなく宗教関係者、社会福祉関係者など多様な専門領域からの発表があり、「死の臨床」第2世代ともいえる存在であった。
2006年に「がん対策基本法」が制定され、一挙に「緩和ケア」という言葉が常用されるようになった。(中略)この現在に至る「緩和ケア」一辺倒時代の特徴として、かつて第1世代が抗したはずの医療者主導の論理が頭をもたげ、本会が問うていたはずの「死」の問題を、希薄化させているといえないだろうか。』
昨今、早期からのがん緩和ケアが謳われ、関連学会や行政などもその普及啓蒙に力を入れています。それはそれで大事なことだと思います。痛み止めも緩和照射も患者さんの苦痛を減らすのにはまだまだ不十分なようですし。
ただ、心身の症状「緩和ケア」いう名のもと、医療による(≒医療者が仕切る)患者管理状態にはまってきてはいないだろうか?という漠然とした疑念も、ここ数年は私なりにおぼろげながら感じていたところでした。新進気鋭の緩和系の先生方のご発表や著書を拝見するたび、何故かますます…
そんな中、このご発表は本研究会初参加だった私の疑問点を明確に指摘し、また日本死の臨床研究会の歴史・経緯についてもわかりやすく解説していただき、個人的には大変貴重な情報が得られました。やっぱり医療系の発表が目立ってきていたのですね。
『ターミナルケアや死の臨床という言葉には、「死」および「死後」をも視野に入れた看取りを中心とした問題だったはずなのに、看護学テキストも緩和ケアに言葉を変えてからは死後看護も死後の世界観も、ましてや宗教ごとなども記載が消えた』ともありました。
昨年、惜しまれつつがんで逝去された在宅医療の第1人者岡部健先生は、以前ご講演で次のように語られておられました(以下、私なりの要約です)。
『日本では戦後、病院で亡くなる方が多くなり、見取りに慣れていない家族が多くなった。また病院、医療の現場は合理性を優先しているが、人の死は合理的なものではない。スピリチュアルケアもキリスト教主体の欧米の真似をしているだけで、日本の個々の死生観、宗教的価値観を考慮する部分に乏しい。その結果、見取りの場でのひずみが大きく生じてきている。死の受容は宗教にすがらないとなかなか耐えきれない部分がある。また宗教者は祈りをささげることで自然の力にアースできるが、日本の医療者は患者の訴えを自分で抱え込みアースできずに燃え尽きることがある。欧米では医療者もチャプレンに吐き出すことができ、日本にもそういったはけ口を作る必要がある。スピリチュアルケアは医療者だけでの対応には無理があるが、日本の医療現場では宗教性を排除しすぎた。』
スタッフ教育を含めた今の医療現場には、もっと宗教を、そして死を「身近」に感じられる環境が整備されるべきなのでしょう。
う~ん、特に死生学や宗教に関しては知識不足な私の下手なコメントが書きずらい…これは今回、引用(ばかりですが、それ)だけで止めさせていただくことにします。
正直、一人ではとても全部見きれない第8会場まで欲張らずに、「死」「お看取り」に特化した演題にもっと限定しても良いように感じました。いわゆる「緩和医療」に関する演題は、きっと本来発表すべき場の日本緩和医療学会のほうに出していただいて。
とまあ、書いてはみたものの、実際問題あちらの学会も年々演題数が増加の一途をたどっているようで、抄録集がどんどん分厚くなり重くて持ち運びにくくなるくらい演題数や参加者が増えてきているようですけれど。抄録は紙媒体ではなく電子ファイルとすればいいのでしょうが、それでは私を含めた年配参加者がきっと困ることでしょう…。そして演題エントリーが多すぎて採択されなくなってしまうのは困るのも確かです。勝手ですね。
以上、研究会初参加者のなんとなく印象記でした。
PS:もちろん他の演題も聞いてきました。
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11月2-3日に島根県の松江市で開催された「第37回日本死の臨床研究会年次大会」に初参加しました。何年も前から気になっていた研究会だったのですが、諸事情で参加のチャンスがありませんでした。
今年は60年ぶりという出雲大社の平成大遷宮、しかも全国の神々が出雲に集結するとされる神有月(旧暦10月)に研究会開催という大変魅力的な部分もございまして、約四半世紀ぶりに遠路島根へ…
研究会場内には私の想像よりはるかに多くの参加者がいらっしゃって、なんと第8会場までありました。噂によると参加者は全部で2000人くらいだったそうです。たしかに37回も開催されている歴史ある研究会ですからね~
ただ、事前に確認していたプログラムや演題名などをみる限りですが、個人的には「日本緩和医療学会との違いって何?」という疑問もなんとなく感じての参加でした。
そして、実際に研究会に参加して抄録やポスター発表などをざっと見渡してみると、その疑問はさらに強まりました。緩和・ホスピス病棟や在宅診療での終末期に関わる医療系ものの発表が大変目立ち、参加者も医療者系が多そうな印象でした。
研究会HPなどを通じて、医療者だけでなく宗教者・患者さん団体など、さまざまな職種・立場の方が集い死について考えるユニークな会なのだろうと前から想像していただけに、いささか拍子抜けの感もありました。
もちろん別に悪いと書いているわけではございませんのでご容赦ください。「日本緩和医療学会とかなり似てるな」って率直に思っただけです。
そんな私の目に飛び込み、(事情もよく知らないのに)思い切り共感してしまったポスター発表が一番最後にありました。
演題名は「緩和されてしまったのか 死の臨床 -ターミナルケアはどこへ行った―」。淑徳大学の田宮仁先生のご発表でした。
抄録掲載の【目的】の部分を(一部改変)引用させていただきます。
『かつて頻繁に使用されていた「ターミナルケア」や「死の臨床」という言葉が、近年では「緩和ケア」という言葉遣いに変化している。その変化は、医療者にとっては違和感のない当然のことかもしれない。しかし、患者側であり「ターミナルケア」や「死の臨床」という言葉に惹かれて本会に参加した者には、少なからず戸惑いと違和感がある。(…以下、略)』
長くなりそうなので、次回に続きます…
今年は60年ぶりという出雲大社の平成大遷宮、しかも全国の神々が出雲に集結するとされる神有月(旧暦10月)に研究会開催という大変魅力的な部分もございまして、約四半世紀ぶりに遠路島根へ…
研究会場内には私の想像よりはるかに多くの参加者がいらっしゃって、なんと第8会場までありました。噂によると参加者は全部で2000人くらいだったそうです。たしかに37回も開催されている歴史ある研究会ですからね~
ただ、事前に確認していたプログラムや演題名などをみる限りですが、個人的には「日本緩和医療学会との違いって何?」という疑問もなんとなく感じての参加でした。
そして、実際に研究会に参加して抄録やポスター発表などをざっと見渡してみると、その疑問はさらに強まりました。緩和・ホスピス病棟や在宅診療での終末期に関わる医療系ものの発表が大変目立ち、参加者も医療者系が多そうな印象でした。
研究会HPなどを通じて、医療者だけでなく宗教者・患者さん団体など、さまざまな職種・立場の方が集い死について考えるユニークな会なのだろうと前から想像していただけに、いささか拍子抜けの感もありました。
もちろん別に悪いと書いているわけではございませんのでご容赦ください。「日本緩和医療学会とかなり似てるな」って率直に思っただけです。
そんな私の目に飛び込み、(事情もよく知らないのに)思い切り共感してしまったポスター発表が一番最後にありました。
演題名は「緩和されてしまったのか 死の臨床 -ターミナルケアはどこへ行った―」。淑徳大学の田宮仁先生のご発表でした。
抄録掲載の【目的】の部分を(一部改変)引用させていただきます。
『かつて頻繁に使用されていた「ターミナルケア」や「死の臨床」という言葉が、近年では「緩和ケア」という言葉遣いに変化している。その変化は、医療者にとっては違和感のない当然のことかもしれない。しかし、患者側であり「ターミナルケア」や「死の臨床」という言葉に惹かれて本会に参加した者には、少なからず戸惑いと違和感がある。(…以下、略)』
長くなりそうなので、次回に続きます…
東北楽天ゴールデンイーグルス(あの近鉄の分身)、星野仙一監督、松井稼頭央選手、(そして私も…)、ついにやっと日本一になれました~!
私の人生初の球場での日本シリーズ観戦は、東京ドームでの第5戦でした。ご存知のように(?)手に汗握る最高の試合で楽天が延長戦を制しました。
実は私、ネットでの観戦チケット争奪戦に敗れていたのですが、同じ楽天ファンである京都の某先生(の奥様)がプラチナチケットをゲットしてくださり、なんともありがたきオコボレ観戦ができました。改めて、ありがとうございました。
思えば数年前、某学会のついでにプロ野球交流戦をみようと初めて東京ドームでの楽天対巨人を観戦に行ったものの、序盤からボロクソに連打されて0-15(だったかな?)で大敗したことがありました。それ以来の東京ドーム観戦でした。
私、これまでこんな思い出ばかりでした…ようやくあの東京ドームトラウマも払しょくできました(笑)
そして、優勝決定の第7戦は11.3、あの3.11の反対なんて表現されている方もいましたね。
私は前日から開催されていた第37回日本死の臨床研究会年次大会に出席するため、大学の卒業旅行以来約四半世紀ぶりに島根県に来ていました。研究会参加印象記はまた後日ブログにしよ。
で、せっかくの3連休だし、研究会終了後に美肌効果で有名な、そして日本の混浴温泉発祥の地でもあるらしい(?、現在はそうではなさそうです)玉造温泉に(ビジネスホテル様の格安シングルルームでしたが)宿をとって第7戦のテレビ観戦をしました。
優勝が決まった瞬間なのですが、ホッとはしたものの何故か、私が勝手に日本シリーズ前から勝つと確信していたからか、連日の息詰まる戦いに精神的に疲れたからか、遠く離れた島根の温泉地で一人寂しくテレビ観戦をしていたからか、夢にまで見ていたはずの歓喜感涙というものはあまりありませんでした。
これから日本シリーズ制覇の録画映像や特集雑誌などを見たときに、改めて感傷的な気分になれるのか?
次の日はもちろん、今年が60年に1度の聖年という平成の大遷宮で観光客がごった返す出雲大社に、御礼参りをしてまいりました。
しかも今は旧暦10月、全国の神様が出雲大社に一同にお集いになられる神在月(かみありづき)の時期。およそ半世紀の間(つまり生まれてこのかた一度も)日本一を味わったことのない私を全国の神様が憐れんでくださって、神の子まー君が胴上げ投手となってあの巨人の目の前で星野監督の日本一の胴上げする瞬間を私にも見せてくださったのか、と謹んで感謝したくなるくらい絶妙な時期の参拝となりました。
参拝時は突然の雷雨。「天まで泣いて喜んでくださった」と勝手な解釈をしながら、ずぶ濡れになって参道を歩いてきました。
朝ラン用の上下のウインドブレーカーをわざわざ持って行って良かった!
縁結びの神様として知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の力をリフレッシュするために行うという大遷宮。神の子まー君にもお力を授けてくださったのでしょうか?
もしそうだとすると、次に出雲大社の大遷宮があるのはきっと60年後。新たな神の子が降臨して楽天が次に優勝するのは私が109才の時…いや、さすがにそれはご勘弁ください。
来年は日本シリーズ連覇です!
私の人生初の球場での日本シリーズ観戦は、東京ドームでの第5戦でした。ご存知のように(?)手に汗握る最高の試合で楽天が延長戦を制しました。
実は私、ネットでの観戦チケット争奪戦に敗れていたのですが、同じ楽天ファンである京都の某先生(の奥様)がプラチナチケットをゲットしてくださり、なんともありがたきオコボレ観戦ができました。改めて、ありがとうございました。
思えば数年前、某学会のついでにプロ野球交流戦をみようと初めて東京ドームでの楽天対巨人を観戦に行ったものの、序盤からボロクソに連打されて0-15(だったかな?)で大敗したことがありました。それ以来の東京ドーム観戦でした。
私、これまでこんな思い出ばかりでした…ようやくあの東京ドームトラウマも払しょくできました(笑)
そして、優勝決定の第7戦は11.3、あの3.11の反対なんて表現されている方もいましたね。
私は前日から開催されていた第37回日本死の臨床研究会年次大会に出席するため、大学の卒業旅行以来約四半世紀ぶりに島根県に来ていました。研究会参加印象記はまた後日ブログにしよ。
で、せっかくの3連休だし、研究会終了後に美肌効果で有名な、そして日本の混浴温泉発祥の地でもあるらしい(?、現在はそうではなさそうです)玉造温泉に(ビジネスホテル様の格安シングルルームでしたが)宿をとって第7戦のテレビ観戦をしました。
優勝が決まった瞬間なのですが、ホッとはしたものの何故か、私が勝手に日本シリーズ前から勝つと確信していたからか、連日の息詰まる戦いに精神的に疲れたからか、遠く離れた島根の温泉地で一人寂しくテレビ観戦をしていたからか、夢にまで見ていたはずの歓喜感涙というものはあまりありませんでした。
これから日本シリーズ制覇の録画映像や特集雑誌などを見たときに、改めて感傷的な気分になれるのか?
次の日はもちろん、今年が60年に1度の聖年という平成の大遷宮で観光客がごった返す出雲大社に、御礼参りをしてまいりました。
しかも今は旧暦10月、全国の神様が出雲大社に一同にお集いになられる神在月(かみありづき)の時期。およそ半世紀の間(つまり生まれてこのかた一度も)日本一を味わったことのない私を全国の神様が憐れんでくださって、神の子まー君が胴上げ投手となってあの巨人の目の前で星野監督の日本一の胴上げする瞬間を私にも見せてくださったのか、と謹んで感謝したくなるくらい絶妙な時期の参拝となりました。
参拝時は突然の雷雨。「天まで泣いて喜んでくださった」と勝手な解釈をしながら、ずぶ濡れになって参道を歩いてきました。
朝ラン用の上下のウインドブレーカーをわざわざ持って行って良かった!
縁結びの神様として知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の力をリフレッシュするために行うという大遷宮。神の子まー君にもお力を授けてくださったのでしょうか?
もしそうだとすると、次に出雲大社の大遷宮があるのはきっと60年後。新たな神の子が降臨して楽天が次に優勝するのは私が109才の時…いや、さすがにそれはご勘弁ください。
来年は日本シリーズ連覇です!
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