先々月(4月24日配信)の現代ビジネスに『名医たちが涙する「忘れられない患者たち」(上)「彼らに僕は大事なことを教わりました」 人気シリーズ「日本が誇るトップドクターが明かす』という記事が掲載されていました。
冒頭を以下に引用いたします。
『どんな医者にも、心に残る患者がいる。治療がうまくいった患者ではない。病と闘い、自らの命と引き換えに大切なことを教えてくれた名もなき患者たち―彼らの生き様が、日本を担う名医を育てた。』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150424-00043008-gendaibiz-bus_all&p=1
その記事を読んだ時に自分のこともブログに残そうと思ったのですが、うっかり先送りしてしまっていました。
実は今日から、学会参加と某施設さん見学を兼ねて九州出張に来ています。大学卒業旅行以来、四半世紀ぶりに訪れた街でした。
ぶらっと散歩していたら、私が研修医をしていた地域に由来したお店の名前が目に入り、以前のことを思い出しました。美味しいものがたくさんある街ですが、明日は朝からいろいろあるので早めにホテルに戻ってこれを書いています。
私にとっても忘れられない患者さんはたくさんいますが、四半世紀前に医者になりたての時に担当させていただいた患者さんたちからは本当にいろいろなことを学ばせていただきました。
内科研修医を始めた月に、不明熱と前胸部痛で入院した地元の料亭のおばあさんを、いきなり一人主治医として担当させていただきました。そういうスタンスの地方病院でした。今なら許容され難いかもしれません。
ちなみに、私は放射線科になる前に3年ほど内科医をしてました。
医学生時代(も?)本当に不勉強だった私の問題もあってなかなか診断がつかないまま、悪性リンパ腫疑いで抗がん剤治療が始まりました。
高齢ということもあり、減量減薬した抗がん剤で半年以上一進一退の末、だんだん病状が悪化してしまいました。コンビニすらない田舎ということもあり医学情報を調べるすべもなかなかなく…そもそも調べ方すらよく知らず…。今の私ならもう少し違った経過をたどったのかもしれません。
もちろん、博学な副院長先生をはじめとする内科の諸先輩方にいろいろ尋ね、週1日お手伝いに来てくださった大学の血液内科の先生方にもご助言いただいてましたが。
見るからに頼りなさそうであったろうペーペー研修医の私に対し「先生に任せるから」と言い続けてくださった肝っ玉おばあさんでした。周りの方々のお話を伺うと堅物頑固で有名だったようですが、私には気さくに話をしてくれました。
「退院したら一緒に食べに行きましょう」と話していましたが、結局叶いませんでした。
私が医者になって初めて患者さんのご自宅でご焼香をさせていただいた方でした。本当は全員にそうすべきなのでしょうが、ごめんなさい。
人の名前をなかなか思い出せない申し訳ない私なのですが、その方の名前(マサさん)は今でもよく覚えています。私は雑誌に掲載されるような名医ではありませんが、マサさんのおかげで今があると思っています。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
そして、当時の私にいろいろ教えてくださった副院長先生も最初に上司だった先生も、最近お亡くなりになってしまいました。
ご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
四半世紀…長かったようなあっという間だったような。

冒頭を以下に引用いたします。
『どんな医者にも、心に残る患者がいる。治療がうまくいった患者ではない。病と闘い、自らの命と引き換えに大切なことを教えてくれた名もなき患者たち―彼らの生き様が、日本を担う名医を育てた。』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150424-00043008-gendaibiz-bus_all&p=1
その記事を読んだ時に自分のこともブログに残そうと思ったのですが、うっかり先送りしてしまっていました。
実は今日から、学会参加と某施設さん見学を兼ねて九州出張に来ています。大学卒業旅行以来、四半世紀ぶりに訪れた街でした。
ぶらっと散歩していたら、私が研修医をしていた地域に由来したお店の名前が目に入り、以前のことを思い出しました。美味しいものがたくさんある街ですが、明日は朝からいろいろあるので早めにホテルに戻ってこれを書いています。
私にとっても忘れられない患者さんはたくさんいますが、四半世紀前に医者になりたての時に担当させていただいた患者さんたちからは本当にいろいろなことを学ばせていただきました。
内科研修医を始めた月に、不明熱と前胸部痛で入院した地元の料亭のおばあさんを、いきなり一人主治医として担当させていただきました。そういうスタンスの地方病院でした。今なら許容され難いかもしれません。
ちなみに、私は放射線科になる前に3年ほど内科医をしてました。
医学生時代(も?)本当に不勉強だった私の問題もあってなかなか診断がつかないまま、悪性リンパ腫疑いで抗がん剤治療が始まりました。
高齢ということもあり、減量減薬した抗がん剤で半年以上一進一退の末、だんだん病状が悪化してしまいました。コンビニすらない田舎ということもあり医学情報を調べるすべもなかなかなく…そもそも調べ方すらよく知らず…。今の私ならもう少し違った経過をたどったのかもしれません。
もちろん、博学な副院長先生をはじめとする内科の諸先輩方にいろいろ尋ね、週1日お手伝いに来てくださった大学の血液内科の先生方にもご助言いただいてましたが。
見るからに頼りなさそうであったろうペーペー研修医の私に対し「先生に任せるから」と言い続けてくださった肝っ玉おばあさんでした。周りの方々のお話を伺うと堅物頑固で有名だったようですが、私には気さくに話をしてくれました。
「退院したら一緒に食べに行きましょう」と話していましたが、結局叶いませんでした。
私が医者になって初めて患者さんのご自宅でご焼香をさせていただいた方でした。本当は全員にそうすべきなのでしょうが、ごめんなさい。
人の名前をなかなか思い出せない申し訳ない私なのですが、その方の名前(マサさん)は今でもよく覚えています。私は雑誌に掲載されるような名医ではありませんが、マサさんのおかげで今があると思っています。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
そして、当時の私にいろいろ教えてくださった副院長先生も最初に上司だった先生も、最近お亡くなりになってしまいました。
ご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
四半世紀…長かったようなあっという間だったような。

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