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放射線治療にたずさわっている赤ワインが好きな町医者です。緩和医療や在宅医療、統合医療にも関心があります。仕事上の、医療関係の、趣味や運動の、その他もろもろの随想を不定期に更新する予定です。
 11月2-3日に島根県の松江市で開催された「第37回日本死の臨床研究会年次大会」に初参加しました。何年も前から気になっていた研究会だったのですが、諸事情で参加のチャンスがありませんでした。

 今年は60年ぶりという出雲大社の平成大遷宮、しかも全国の神々が出雲に集結するとされる神有月(旧暦10月)に研究会開催という大変魅力的な部分もございまして、約四半世紀ぶりに遠路島根へ…


 研究会場内には私の想像よりはるかに多くの参加者がいらっしゃって、なんと第8会場までありました。噂によると参加者は全部で2000人くらいだったそうです。たしかに37回も開催されている歴史ある研究会ですからね~

 ただ、事前に確認していたプログラムや演題名などをみる限りですが、個人的には「日本緩和医療学会との違いって何?」という疑問もなんとなく感じての参加でした。
 そして、実際に研究会に参加して抄録やポスター発表などをざっと見渡してみると、その疑問はさらに強まりました。緩和・ホスピス病棟や在宅診療での終末期に関わる医療系ものの発表が大変目立ち、参加者も医療者系が多そうな印象でした。
 研究会HPなどを通じて、医療者だけでなく宗教者・患者さん団体など、さまざまな職種・立場の方が集い死について考えるユニークな会なのだろうと前から想像していただけに、いささか拍子抜けの感もありました。

 もちろん別に悪いと書いているわけではございませんのでご容赦ください。「日本緩和医療学会とかなり似てるな」って率直に思っただけです。


 そんな私の目に飛び込み、(事情もよく知らないのに)思い切り共感してしまったポスター発表が一番最後にありました。

 演題名は「緩和されてしまったのか 死の臨床 -ターミナルケアはどこへ行った―」。淑徳大学の田宮仁先生のご発表でした。
 
 抄録掲載の【目的】の部分を(一部改変)引用させていただきます。

 『かつて頻繁に使用されていた「ターミナルケア」や「死の臨床」という言葉が、近年では「緩和ケア」という言葉遣いに変化している。その変化は、医療者にとっては違和感のない当然のことかもしれない。しかし、患者側であり「ターミナルケア」や「死の臨床」という言葉に惹かれて本会に参加した者には、少なからず戸惑いと違和感がある。(…以下、略)』


 長くなりそうなので、次回に続きます…

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【2013/11/07 20:56】 | 緩和医療
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