第19回日本緩和医療学会学術大会が来月神戸で開催されます。私もポスターで演題発表です(が、ポスターはいまだ全くできあがってません…)。
学術大会のポスターには「これでいいのだ!」というメインテーマとともに故 赤塚不二夫さん原作の天才バカボンが掲載されています。今回の学会大会長、島根大学医学部附属病院の齊藤洋司先生ご挨拶文を学術大会HPより一部転載させていただきます。
『このテーマは、患者さんや家族がその一瞬、その日、その月、その年をこれでよかった(これでいいのだ!)と思える、その人らしい生活を支えることが緩和ケアであるという思いを込めたものです。医療者は日々の緩和ケアを振り返り、これでいいのだ!と思える緩和ケアを提供していく、これもこのテーマに込められたものです。』

先日、『「バカボン」という言葉はサンスクリット語で「悟りを開いた人」「知恵物」という意味』だということをたまたま知りました。少しネット検索してみたところ仏教哲学に関係する面白い投稿がいくつかありました。知る人ぞ知る話なのかもしれませんが、個人的にはよく知らない分野だったので(無断)引用中心にまとめてみました。
なお、『 』内は原文のままです(ので今回の投稿はいささか長いです。コピペばかりですが…)。
1.真言宗 福仙寺さんのHPより
http://www.navitown.com/fukusenji/qa2/qa2.cgi?mode=dsp&no=77&num
『(中略)インドの古語サンスクリット(梵語)の「薄伽梵;バギャボン」の事と、漫画家;赤塚不二夫の「天才バカボン」について!
Q;梵語の薄伽梵・婆伽梵(バカボン;バカヴァット;バギャボン)とは?
A;サンスクリット語でブッダ(シャカ;釈迦牟尼)のこと、インドでは自己の意識を自由にあやつる「天才」を意味したり、貴人の尊称だそうです。
ところで赤塚不二夫の、「天才バカボン」は、同じ音である「バギャボン」に似ていると、以前から思っていました。
多くの人に親しまれた赤塚不二夫の漫画に、「天才バカボン」というキャラクターがいます。バカボン父子の言動が私たちを、楽しませてくれたヒット漫画でした。
その名前は(古代インドの言葉:バカボン;バカヴァット;バギャボン)を、意識して付けたわけではなく、たぶん幼児を親しんで呼ぶ「馬鹿なボン(坊や;坊ちゃん)」という意味だろうと、最初はそう思っていました!
タイトルおよび、作中のキャラクター名である「バカボン」の語源は、現在公式には梵語の「薄伽梵」(バギャボン・釈迦如来)に由来するとされています。これはテレビ番組「トリビアの泉」で紹介されました。
また、バカボンパパの決まり文句「これでいいのだ」も、「覚りの境地」の言葉であるようで、何時も竹箒を持ったレレレのおじさんも、お釈迦様のお弟子の一人で、「掃除」で悟りをひらいたチューラパンタカ(周利槃特=しゅりはんどく) を、モデルにしているようです。なおタイトルに「バカボン」とあるものの、当作品において主に活躍するのはその名を冠したキャラクター・バカボンではなく、父親の「バカボンのパパ」です。実際バカボンが登場しない話が数話ある。
(以上「トリビアの泉」より)
だから「バカボン」とは、実際は「バカボンのパパ」をさし、言動は「覚りの境地」を持った「仏陀」のことを、笑いに表そうとしたのでしようか?
それはさておいて、「バカボン」の元祖は、「ブッダ;釈迦」です。「天才バカボン」とは正反対になります。
薄伽梵とは古代インドの梵語、バカヴァットの音訳で、バカボン・バギャボンとなります。
「これでいいのだ!」は、納得した深い悟りの境地に通じた言葉のようです!?
バカボンのパパは、口癖のように「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」を連発します。
これ作者の言う「仏のように深い悟りを得た。」言葉なのかも知れません 。
「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」で、後は悩まない。それがバカボンパパの口癖
それは味のある物事の本質を、適切に言い表した言葉といえるかも知れません。
その前提にあるのは、やはり「苦しみ・悩み」を超越した心のように思います。
人はだれもが自分の生きている今が、「・・・なのだ!」「これでいいのだ」と納得できれば、全ての出来事をあるがままに前向きに肯定でき、「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」と、心から納得されるのであれば、後退することなく、前進して行けると思います。 それは悟りの境地なのかも?』
トリビアの泉、懐かしいなあ。「バカボン」は覚えてないですが…
2.京都生まれの気ままな遁世僧さんのブログ、「今様つれづれ草」より、「天才バカボン」。
http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/26388943.html
『もっとも、少なくとも仏教を学んだり興味のある人間であるならば、
「バカボン」という言葉そのものにピンと来る筈である。
しかし、それが単なる偶然ではなかった。
そして、「トリビアの泉」でも採用された、全く「ガセビア」ではないというのである・・・・・。
情報に疎い私は、そんなのがオンエアされたとは、ついぞ知らなかった・・・・・。
「バカボン」とは・・・「薄伽梵(バギャボン)」から来ているというのである。
「薄伽梵」は“バガボン”とも発音する。
即ち、サンスクリット語の“Bhagavad(ヴァガバッド)”を経典の漢訳に際し、
発音を漢字に音写したものである。
その意味は「覚れる者」という意味で、“Buddha(ブッダ)”と同義語である。
“Bhagavad”は「世尊」とも訳されている。
「世の中で尊敬されるべき方」という程の意味である。
一般に「釈尊」と呼ぶのは略称であり、正式には「釈迦牟尼世尊」という。
尊称の最後の「世尊」は“Bhagavad”を漢訳したものなのだ。
ところが・・・・・
「トリビア・・・」で取り上げられたのはここまでらしい。
M師によると、まだ続きがあるというのである。
バカボンにはチョー天才児「はじめちゃん」という弟がいる。
「はじめちゃん」・・・・
決して奇天烈な名前などではない。
別に何処にでもありそうな名前である。
しかし・・・・・
これもインド学仏教学を学んだ経験があれば、ピンと来る名前なのである。
即ち、東大インド哲学科の碩学で、近年亡くなった中村元(なかむらはじめ)博士の名である。
中村博士は、内外に知られたインド哲学者である。
多くの著作があり、また多くのサンスクリット語・パーリ語経典を翻訳されている。
バカボンの弟・はじめちゃんは中村博士から採った名前というのだ。
赤塚不二夫は仏教にも造詣が深かったのだろうか・・・・。
それにしても、私は子どもの頃『天才バカボン』のアニメを見ては、
テレビの前で泣いて笑い転げたものである・・・・。
要するに・・・・
兄バカボンの良き理解者が弟のはじめちゃんであり、
バカボンもまた弟を慈しんでいる。
以て、バカボンは天才なのである。
天才は奇想天外であり、一種の人智を超越したものがある。
まさに「薄伽梵」なのである。
その「薄伽梵」を理解し得るのは、これまた、まさしく「はじめちゃん」なのである。
「はじめちゃん」の出生もまた、天才的要素に満ち満ちている。
生まれて程なく言葉を話し、程なく立って歩くのである。
まるで釈尊ではないか・・・・。』
天才バカボン、なんとも奥が深い…仏教哲学とは!
3.Wikipediaの天才バカボン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%B3
『赤塚自身は生前に雑誌等のコメントで異説(馬鹿なボンボン、バガボンド=放浪者、天才=ハジメちゃんとバカ=バカボンのパパとボンボン息子=バカボンの3人合わせて「天才バカボン」とした説、等)も唱えていたことがあった。また1967年4月9日の週刊少年マガジンでの連載第1回では、扉絵の部分に、「バカボンとは、バカなボンボンのことだよ。天才バカボンとは、天才的にバカなボンボンのことだよ」という説明文が記されていた。』
聡明な故 赤塚不二夫さんのことですから、きっと1~3の全部を意図されていたのでしょうね。
しかし、「天才バカボン」って実は緩和医療・スピリチュアルケアのイメージキャラクターだったとは!?
へぇ~
学術大会のポスターには「これでいいのだ!」というメインテーマとともに故 赤塚不二夫さん原作の天才バカボンが掲載されています。今回の学会大会長、島根大学医学部附属病院の齊藤洋司先生ご挨拶文を学術大会HPより一部転載させていただきます。
『このテーマは、患者さんや家族がその一瞬、その日、その月、その年をこれでよかった(これでいいのだ!)と思える、その人らしい生活を支えることが緩和ケアであるという思いを込めたものです。医療者は日々の緩和ケアを振り返り、これでいいのだ!と思える緩和ケアを提供していく、これもこのテーマに込められたものです。』

先日、『「バカボン」という言葉はサンスクリット語で「悟りを開いた人」「知恵物」という意味』だということをたまたま知りました。少しネット検索してみたところ仏教哲学に関係する面白い投稿がいくつかありました。知る人ぞ知る話なのかもしれませんが、個人的にはよく知らない分野だったので(無断)引用中心にまとめてみました。
なお、『 』内は原文のままです(ので今回の投稿はいささか長いです。コピペばかりですが…)。
1.真言宗 福仙寺さんのHPより
http://www.navitown.com/fukusenji/qa2/qa2.cgi?mode=dsp&no=77&num
『(中略)インドの古語サンスクリット(梵語)の「薄伽梵;バギャボン」の事と、漫画家;赤塚不二夫の「天才バカボン」について!
Q;梵語の薄伽梵・婆伽梵(バカボン;バカヴァット;バギャボン)とは?
A;サンスクリット語でブッダ(シャカ;釈迦牟尼)のこと、インドでは自己の意識を自由にあやつる「天才」を意味したり、貴人の尊称だそうです。
ところで赤塚不二夫の、「天才バカボン」は、同じ音である「バギャボン」に似ていると、以前から思っていました。
多くの人に親しまれた赤塚不二夫の漫画に、「天才バカボン」というキャラクターがいます。バカボン父子の言動が私たちを、楽しませてくれたヒット漫画でした。
その名前は(古代インドの言葉:バカボン;バカヴァット;バギャボン)を、意識して付けたわけではなく、たぶん幼児を親しんで呼ぶ「馬鹿なボン(坊や;坊ちゃん)」という意味だろうと、最初はそう思っていました!
タイトルおよび、作中のキャラクター名である「バカボン」の語源は、現在公式には梵語の「薄伽梵」(バギャボン・釈迦如来)に由来するとされています。これはテレビ番組「トリビアの泉」で紹介されました。
また、バカボンパパの決まり文句「これでいいのだ」も、「覚りの境地」の言葉であるようで、何時も竹箒を持ったレレレのおじさんも、お釈迦様のお弟子の一人で、「掃除」で悟りをひらいたチューラパンタカ(周利槃特=しゅりはんどく) を、モデルにしているようです。なおタイトルに「バカボン」とあるものの、当作品において主に活躍するのはその名を冠したキャラクター・バカボンではなく、父親の「バカボンのパパ」です。実際バカボンが登場しない話が数話ある。
(以上「トリビアの泉」より)
だから「バカボン」とは、実際は「バカボンのパパ」をさし、言動は「覚りの境地」を持った「仏陀」のことを、笑いに表そうとしたのでしようか?
それはさておいて、「バカボン」の元祖は、「ブッダ;釈迦」です。「天才バカボン」とは正反対になります。
薄伽梵とは古代インドの梵語、バカヴァットの音訳で、バカボン・バギャボンとなります。
「これでいいのだ!」は、納得した深い悟りの境地に通じた言葉のようです!?
バカボンのパパは、口癖のように「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」を連発します。
これ作者の言う「仏のように深い悟りを得た。」言葉なのかも知れません 。
「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」で、後は悩まない。それがバカボンパパの口癖
それは味のある物事の本質を、適切に言い表した言葉といえるかも知れません。
その前提にあるのは、やはり「苦しみ・悩み」を超越した心のように思います。
人はだれもが自分の生きている今が、「・・・なのだ!」「これでいいのだ」と納得できれば、全ての出来事をあるがままに前向きに肯定でき、「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」と、心から納得されるのであれば、後退することなく、前進して行けると思います。 それは悟りの境地なのかも?』
トリビアの泉、懐かしいなあ。「バカボン」は覚えてないですが…
2.京都生まれの気ままな遁世僧さんのブログ、「今様つれづれ草」より、「天才バカボン」。
http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/26388943.html
『もっとも、少なくとも仏教を学んだり興味のある人間であるならば、
「バカボン」という言葉そのものにピンと来る筈である。
しかし、それが単なる偶然ではなかった。
そして、「トリビアの泉」でも採用された、全く「ガセビア」ではないというのである・・・・・。
情報に疎い私は、そんなのがオンエアされたとは、ついぞ知らなかった・・・・・。
「バカボン」とは・・・「薄伽梵(バギャボン)」から来ているというのである。
「薄伽梵」は“バガボン”とも発音する。
即ち、サンスクリット語の“Bhagavad(ヴァガバッド)”を経典の漢訳に際し、
発音を漢字に音写したものである。
その意味は「覚れる者」という意味で、“Buddha(ブッダ)”と同義語である。
“Bhagavad”は「世尊」とも訳されている。
「世の中で尊敬されるべき方」という程の意味である。
一般に「釈尊」と呼ぶのは略称であり、正式には「釈迦牟尼世尊」という。
尊称の最後の「世尊」は“Bhagavad”を漢訳したものなのだ。
ところが・・・・・
「トリビア・・・」で取り上げられたのはここまでらしい。
M師によると、まだ続きがあるというのである。
バカボンにはチョー天才児「はじめちゃん」という弟がいる。
「はじめちゃん」・・・・
決して奇天烈な名前などではない。
別に何処にでもありそうな名前である。
しかし・・・・・
これもインド学仏教学を学んだ経験があれば、ピンと来る名前なのである。
即ち、東大インド哲学科の碩学で、近年亡くなった中村元(なかむらはじめ)博士の名である。
中村博士は、内外に知られたインド哲学者である。
多くの著作があり、また多くのサンスクリット語・パーリ語経典を翻訳されている。
バカボンの弟・はじめちゃんは中村博士から採った名前というのだ。
赤塚不二夫は仏教にも造詣が深かったのだろうか・・・・。
それにしても、私は子どもの頃『天才バカボン』のアニメを見ては、
テレビの前で泣いて笑い転げたものである・・・・。
要するに・・・・
兄バカボンの良き理解者が弟のはじめちゃんであり、
バカボンもまた弟を慈しんでいる。
以て、バカボンは天才なのである。
天才は奇想天外であり、一種の人智を超越したものがある。
まさに「薄伽梵」なのである。
その「薄伽梵」を理解し得るのは、これまた、まさしく「はじめちゃん」なのである。
「はじめちゃん」の出生もまた、天才的要素に満ち満ちている。
生まれて程なく言葉を話し、程なく立って歩くのである。
まるで釈尊ではないか・・・・。』
天才バカボン、なんとも奥が深い…仏教哲学とは!
3.Wikipediaの天才バカボン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%B3
『赤塚自身は生前に雑誌等のコメントで異説(馬鹿なボンボン、バガボンド=放浪者、天才=ハジメちゃんとバカ=バカボンのパパとボンボン息子=バカボンの3人合わせて「天才バカボン」とした説、等)も唱えていたことがあった。また1967年4月9日の週刊少年マガジンでの連載第1回では、扉絵の部分に、「バカボンとは、バカなボンボンのことだよ。天才バカボンとは、天才的にバカなボンボンのことだよ」という説明文が記されていた。』
聡明な故 赤塚不二夫さんのことですから、きっと1~3の全部を意図されていたのでしょうね。
しかし、「天才バカボン」って実は緩和医療・スピリチュアルケアのイメージキャラクターだったとは!?
へぇ~
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